お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

うつ期間終了のその後。

ご無沙汰してます、asahiです。

どうやら私は行動する時とパソコンに向かう時がパッキリ分かれてしまうようでして、Excelでつけてる家計簿も8月の途中からつけてませんでした。

このブログは「自分を知る」ことの軌跡を書いていくものです。気付きがあって書く時が来たら書きますのでご了承ください。そんで読んでくださった方が勝手に参考にしていってくださると幸いです。

 

さて、7月下旬のうつ期間で、薬を使ったり精神的ストレスに耐えたり、かなり体にダメージがあるはずなので、それを徐々に回復させながらぼちぼち仕事にも行けたらいいなと思っていたんですが、お盆前後で風邪を引きました。

私の体ってホント優秀。うつにしたり風邪にしたり私に必要とあらば潔くストップかけてくるよね。

1日だけ休むつもりだったんですが、会社の規定で「37.5℃以上の熱が出た人は、熱が下がるか症状が治まってから5日間自宅待機」となっていたため、8/11~20までがっつり休ませていただきました!!

時給労働は休んだら休んだ分だけお給料が消えていくのが当たり前と思って生きてきたので、お給料の計算とかやって「ギリギリどうにかなる額はもらえるかな」って思ってたんですが、なんと「会社の指示で休んでるんだから満額お給料出しますよ」とのことで、もう、私、感動…ええ会社や…

と、いうわけで、会社からしっかりお金もらってしっかり体を休めました。

巷で言われるニューノーマルとか、風の時代の到来とかってこういうことを言うのかなと思いました。

 

風邪を引いてる状態というのは、体にとっては危機的状況であって、極限状態なのだろう。感覚が研ぎ澄まされる。治療に専念している間に感じたのは、こういうことでした。

 家じゅうのほとんどのモノを捨てたい。

 生きるのに一番必要で大事なのは愛。

 生きていく中で一番やりたいことは自己表現。

それから少し時間が経ってから、

 色々と考えるのは思考的自由が欲しいから。

 お金の勉強をするのは経済的自由が欲しいから。

今、自分がやっていることに対して気持ちや考えを明確にしておくのは大事なことだと思います。

自分の人生の大切な時間、大切な労力をどこに使うのか。

それを捻出するために何をやらないのか。

それを決めるためには、自分が人生で何を必要に思っているのか、大事に思っているのか、何をやりたいのか、何が欲しいのかを明らかにする必要がある。

そういう面倒くさいことを一つ一つやっていった先に、今までとは違う自分が一人で立つ姿が見えてくるのではないかと私は思うのです。

多分「うつ期間→回復→風邪→研ぎ澄ます→回復→気付き」で1セットですね。

自分の体はよくできてるなと感心した出来事でした。

うつと片頭痛(追体験からの考察)

(2020.09.30 追記)

↓前回の続きです。

first-asahi.hateblo.jp

なぜ今回の経験が、うつと片頭痛が一番酷かった20歳前後の経験の追体験だったのでは、と思ったのかというと、改めてうつと片頭痛の高い関係性を思い知ったからだ。

 

片頭痛との付き合いも20年となり、薬の使い方が分かり、生活の仕方が分かり、「20歳の頃が一番酷かった」と言えるようになってくると、あの頃のあの痛みが何だったのかよく分からなくなっていた。「辛かった」「苦しかった」のはしっかり憶えている。でも何がどうしてあんなに痛かったのか、よく分からない。若かったから痛みも鋭かったのかもとも思ったけど、違った。

うつ状態で頭や心がいっぱいの状態で、仕事というさらに頭を使うことをやろうとして、頭がオーバーヒートを起こしたのだ。それが頭痛だ。

こういう状態を東洋医学では「気の上衝」という。本来体中を巡っているはずの「気」が、頭を過剰に使うことによって上にあがったままになり、下に下がってこなくなる。こうなるとのぼせやめまい、さらには頭痛を引き起こす。

この現象はパソコンに置き換えるととても分かりやすい。私は以前「感情タスク」という考え方をブログに書いたが、

 ↓これ。

first-asahi.hateblo.jp

うつ状態が「感情タスク」過剰状態とするならば、もう脳の容量はほとんど残されていない。その状態で大学の授業や仕事に向かおうとするならば、すぐに容量オーバーとなり、異常発熱を起こす。

20歳の頃はうつによる「感情タスク」だけで脳の容量オーバーだったのではないだろうか。だから毎日頭が痛かったのだとすれば簡単に理解できる。それなのに当時の私はそれに気付かず休むことに罪悪感を感じ自分を責め「感情タスク」をさらに増やしていた。本当はもっとしっかり休んでオーバーヒートを鎮静化し、「感情タスク」を徐々に減らしていけるように自信のなさや罪悪感、将来の不安に向き合い、対処できる足掛かりを見つけた方がよかったのだ。

当時もうつと頭痛に関係性がありそうだということに気付いていたが、ここまで体系的な理解はしていなかった。

きっと私は今、あの頃やり残した課題を取り返しているのだ。

時が過ぎ、あの痛みの混乱から離れて初めて、冷静に知ることが出来る。

知ることが出来れば対処することができる。

 

そういう気付きから1週間経った昨日、また新たなことを知りました。

「思考の多動」という言葉です。

メンタルの状態が悪い時に、何かのきっかけで脳のパソコンが次々と記憶のウィンドウを開いていってしまう状態のことだそうです。記憶の連想ゲームとも言われていました。開かれるのは大体嫌な思い出だそうで、嫌な気分になるけど、止められないそう。

私もたまにシャワー浴びてる時に嫌な記憶がバーッと自動再生されて嫌な気分になることがあって、そうか、そういう名前なのかと。

ADHD(注意欠陥多動性障害)について紹介する動画で知って、私はADHDではないので違うかもしれないんですが、そういう症状があって、そういう名前だと知ることは有益なことだと私は思います。検索ワードが分からなければ検索することすらできないし、診断がつかなければ治療することもできませんから。

  ※これを書いた数日後、精神科の先生に「この現象をそう名付けていいですか?」と聞いてみましたが、「ADHDの思考の多動とは少し違う」とのことで、名付けるのは止めました。「思考の多動のような状態」と言うのに留めたいと思います。

また「重要なのは、メンタルの状態が悪いことが根底にあって思考の多動が起こるってことです」と動画では言っていて、脳が混乱状態にあり、本来繋ぎ合わせなくていい記憶を繋いでしまい取捨選択できていない様子が伺えて、その様子が仕事でミスしてリーダーさんに助けてもらった時に似ていると思いました。あの時も混乱して区別しなければいけない内容をくっつけて説明してしまったために起こったミスでした。

このタスク過剰になっている感じも私の考察と共通するところがあるなと感じました。

「感情タスク」が増える要因はメンタルの状態が悪くなることだけではないし、容量オーバーは「やることタスク」が多すぎても起きることなので一概には言えません。

でも今の私はそういう状態だと思うし、そうだったら、容量オーバーで動き過ぎる脳の動きを落ち着かせるために安定剤などを服用して、落ち着いてできることだけ対処するということが大切なのではないか、と思うし、今の私にはそれが必要だと思っています。

うつ期間終了(仮)

もしかしたら、うつ期間はわずか1週間で終わってしまったのかもしれない。

そう思ってしまうほどすっきりしてしまった。

 

7/30、精神科で先生から「薬を飲みながらできることだけやっていきましょう」と言われ実行した。それから仕事のチームリーダーにも体調のことを話して「私のことを少し見ておいていただけると助かります」とお願いした。リーダーさんは私の話をしっかり聞いてくださり、その後、実際に私の失敗をフォローしてくださった。お話しておいて良かった。本当にありがたい。

 

その応対中のことで気付きがあった。

リーダーさんの言葉が全く頭に入ってこなかったのだ。

リーダーさんが日本語を喋っているのは分かる。でも言葉が目の前を流れて通り過ぎ、全く掴めない。F1カーか新幹線かってくらい高速で目の前を通り過ぎていく。体調が悪いとこんなに人の話が頭に入ってこないのかと驚くほど。

正しいご案内をし、間違っていたことを謝罪し、文句を言われ、お客さまに必要な案内を終え、電話を切ると、頭に激痛が走った。頭の奥の方からモヤモヤとして気持ち悪さを伴う片頭痛の痛みの中でもかなりひどい方の症状。

電話に出る前はこんなに痛くなかったのに、たった30分仕事をしただけでこんなに状態が悪くなってしまうなんて。

ちょうどお昼休憩を取る時間になっていたので席を立とうとしたが、足に力が入らない。椅子の背もたれを持ち、フラフラしながら休憩室に向かった。

午後の仕事もどうにかこなして帰宅。すぐ寝た。4時間くらい寝て起きたが今度は眠れない。

深夜2時頃、夫が腕枕してくれようとしたけど頭痛がしてるからそれもできない。膝を抱えて横になっていると泣けてきた。夫の横でワンワン泣いた。何ヶ月振りだろう。過呼吸を起こしそうになりながら鼻水を出すと「なんでこんなことになったんだっけ」と思った。すると目の前のモヤが急に晴れた。スイッチがカチッと切り替わったような感じがした。気持ちが落ち着いて、あんなに混乱していた頭が明瞭になっていた。

よく分からない。でももう大丈夫なんじゃないかって気がした。朝までよく眠れた。

朝起きたらまた憂鬱に戻ってた、なんて経験が何度もあるので自分でもどうかなと思っていたが、大丈夫なままだった。

仕事行ったらやっぱりダメだった、なんて経験も何度もあるので、こちらも警戒して薬を飲んで挑んだけど、大丈夫だった。

 

実質、右往左往したのは月曜から木曜までの4日間のみ。こんな短期間で治まるなんて初めてだ。先生が「一時的に混乱しているだけ。徐々に良くなる」と言われたのは気休めではなく、本当だったんだなと思った。

そして思ったのだ。これは、うつと片頭痛が一番酷かった20歳前後の経験の追体験だったのでは、と。

《つづく》

臨時の精神科通院

精神的に不安定になっている。

具体的には…頭が痛い。胃が気持ち悪い。お腹を下している。腰が痛い。1年前に怪我した右足の甲が痛い。身支度に時間がかかる。昔の記憶が自動再生されて感情がまざまざと蘇る。泣きたい。けど泣けない。仕事に行くのが怖い。批判的な言い方になる。感情だけが動いて建設的な思考までいかない。頭では分かっていても感情がついてこない。内観しても何も出てこない。…みたいな感じ。

ブログに書いたり、主人に話したりして、発散したり整理したり気付いたりできれば良かったけど、書けないし話せなかった。読んだら必ず泣く鉄板の漫画を読んでも泣けなかった。

もう無理だ、と思って精神科に行って話を聞いてもらった。

 

仕事に慣れようと頑張っているタイミングに、義妹のことで心がグラグラして、そこに三浦春馬くんのことや実家のことが重なって少し混乱している。

今は何か変えようとせず、薬の力を借りて仕事に行く。私も分かっている通り、完璧に仕事することなんて誰もできない。できることだけやればいい。

過呼吸起こした去年の1月の状態に戻ったわけではない。そこまで悪い状態ではない。一時的に混乱しているだけで、徐々に良くなってくると思いますよ。

…先生はそうおっしゃいました。

 

薬も今出してもらってる安定剤だけで十分で、抗うつ薬を飲むほどの状態ではないらしい。先生は冷静というか理性的というか、ただ聞いてるだけ、私が言葉を出せずにいたら促すだけで、共感的な聞き方をしないし、診断も大袈裟にしないのが好きです。

なんの装飾もされていないので、ただ受け取るだけ。それが楽でいいです。

 

こんな状態でどうやって仕事をするのか、休んだ方がいいんじゃないかと思ったけど、薬を飲んで仕事をした日のことを「電話3本とって、1勝1敗1引き分けでした」と話したら、「1勝できてるからいいじゃないですか。それを毎日少しずつ増やしていきましょう」とおっしゃって、薬を飲みながら仕事ができると判断されたようだ。

ちなみに1勝はちゃんとご案内できた電話、1敗はうまくご案内できなかった電話、1引き分けはスキル外の電話のことです。

 

混乱したものを混乱したままで話して吐き出したので、先生に話したことをブログに書くのはなかなか難しい。

帰り際、「またしんどくなったら電話していいですか」と聞いたら「いつでもどうぞ」と言われた。いつでも助けを求めていいんだと思えるだけで生きていける、と思った。

自分が話した内容を書くのは難しいけど、先生に言われたことを忘れないようにここに書いておこう。そしてまたしんどくなったら繰り返し読もう。

泣き過ぎて頭が痛い。少しご飯食べて薬飲んで寝よう。明日に備えよう。

「うつさない」という言葉

新型コロナウィルスの流行の第二波が来たような状況ですが、よく「他人にうつさないように」という言い方をする。

この言葉は「他人にうつされた」を連想させる。

こういう言い方はもうしない方がいい。

自分が感染するかしないかは、ウィルスの感染力がエボラ出血熱くらい高くない限り、自分の免疫力による。新型コロナウィルスの感染力はそこまで高くない。また、死亡率は季節性インフルエンザより低い。最近ではインフルエンザと診断されたら医師の指示通り10日ほど出勤しなくていいと言われるようになったが、ちょっと前までは「それでも出勤しろ」と言われていた。そんな扱いだったインフルエンザより低い死亡率の新型コロナウィルスにどうしてここまでの事態になったのか、私には理解できない。

こう言うと「未知のウィルスでどう対処すればいいか分からないところが多いし、ワクチンや特効薬もないからでしょ」と言う人がいる。

私は15歳の時から病院に行っても診断のつかない、よく分からない頭痛に毎日悩まされ、さらにはよく分からない抑うつ状態が続き、学校にも満足に通えない日々を過ごした。どう対処すればいいのか分からない中でも毎日の生活はしないといけないし、やるべきことはたくさんある。周囲の理解は得られない。孤独な戦いを経験した。

20歳、21歳の時にやっと診断がついて、付き合い方や症状を緩和する方法を知ったが、ワクチンや特効薬はない。死にたい気持ちを乗り越えてきたし、症状のために社会的に死んできた。いつか死ぬ覚悟はできてる。不安な気持ちや悔しい思いももちろんあるが、その中でやれることをやっていくしかない。

こういう経験があるせいか、私は「感染するかしないかは自分の免疫力次第。どんなに気を付けていてもかかる時はかかるし、死ぬ時は死ぬ。医療体制が十分でない国なら死ぬ病気かもしれないけど、日本は医療レベルが地方でもまぁまぁ高い。その時はその時」と思っている。

ただ免疫力の低い乳幼児や高齢者、抗がん剤治療中の人や、そういう人を家族に持つ人と接する時は気を付けている。戦える免疫力が低いし、不安な気持ちには寄り添うべきだ。私も今の気持ちになるまで、特に診断がつくまでの5,6年は不安定だった。安定するまで時間がかかるということも経験上知っている。

 

つまり不安が問題なのだ。不安な気持ちが今の状態にさせた。自粛警察と呼ばれる過剰な行動もその表れだと思う。

そんな時に「うつさないように」などと言われると「うつされる」と思ってしまう。「もし自分が感染したらそれはうつした人のせいだ」と。

だから自粛警察という行動をとる。他人の行動を批判し制限しようとする。

でも本当は感染したのは自分の免疫力がウィルスに対抗できず侵入を許してしまったからだ。つまり自分のせい。

人は何か悪いことがあったら他人のせい、良いことがあったら自分のおかげと思いやすい。悪いことがあって、その理由が自分だとは思いたくないのだ。

だったら良いことがあっても悪いことがあっても全部自分のせいと思えばいい。

自分軸で生きるということだ。

自分に集中していれば芸能人の不倫やSNSでの発言が気になることはない。「そういう一面もあったのね」「あなたはそう思うのね」で終わりだ。

自分の選択や自分の判断を他人に委ねてはならない。全ては自分のせい。責任は自分が取らなければいけない。他人の意見を鵜呑みにしてもいいけど、それで取った行動の責任は自分にある。「あなたがそう言うからそうしたのにどうしてくれるの」と思うかもしれないけど、他人は自分の人生に責任は取ってくれない。自分の人生をどうにかできるのは自分だけだ。

「うつさない」という言葉は「他人のせいにする」気持ちを助長する。使わない方がいい。

義妹と三浦春馬くん

10年前の7/16は主人の妹が亡くなった日だ。自殺だった。

その時私は結婚して半年というタイミングで、うつ病を再発して1年。まだ精神科に通院もしていたし、抗うつ薬も毎日服用、外出時や眠れない時に頓服の安定剤を飲んでいた。

義妹と接するうちに「危ういところがあるな」と思った。でもなぜそう思うのか、それは私がそっちの世界の住人だから。結婚して半年、打ち明けるなんてそんな危険なことはできなかった。それに分かる人には分かること。自分から言う必要はない。

もしかしたら義妹の味方に、力に、なれたかもしれない。でも家族になってまだ半年の兄の嫁にそこまで心を開くとも思えない。きっと私には何もできなかった。

事が起こって向かった主人の実家。私の自由を抑圧してきた実家と同じ大人たちが揃っていた。この構成員から私がお兄ちゃんを引き抜いた。きっとこの兄だけが妹の自由を肯定していた。

私のせいだ、なんてそんな思い上がったことは思わない。これはこの家族の問題。

ただ、「何が起こったのか何も分からない」と泣き、茫然自失の姑を見て、だから私はこの家に来たんだなと思った。自殺で娘を失い、抑うつ状態になった姑を、うつ病を経験してもなお生きてる私が支える。義妹の気持ちも、うつで苦しむ姑の気持ちもどちらも分かる。姑は今も精神科に通院している。

今年は義妹のことをよく思い出す。無駄に記憶力がいいので、その時の情景がまざまざと蘇っては私の気持ちを当時に引き戻す。

そんな時だった。三浦春馬くんが亡くなったとニュース速報が流れた。

30歳、この先ドラマ、舞台、CDリリースが予定されていたと聞いて、義妹を思い出した。義妹もアルバイトを始めたばかり、車も買ったばかりだった。「人が死ぬ時は準備せずに死んでいくんだ」と知った。だからそれ以来、自分が死にたい気持ちになっても「あれを片付けてから死のうと思っているうちは私はまだ大丈夫」と思うようになった。

ちょうどこの週は地域によってはお盆。お盆はあの世とこの世の境界が薄くなる。連れていかれたのかもしれない。あの世に行きたがっている魂を、良かれと思って。

ミュージカル「キンキーブーツ」での演技、歌唱の動画を見た。歌からすごいエネルギーを感じた。この魂を輝かせたいと体中から叫んでいるような歌だった。

この動画を見てから、私の中から三浦春馬くんが離れなくなった。日英共作のミュージカルに主演する予定だったらしい。でもルックスが良くて身長が高く、演技力歌唱力のある日本人俳優はなかなかいないらしく、代役が立たないらしい。確かに日本人であの高身長はなかなかいないかも。見たかった。

きっと亡くならなければあの歌を聞くことはなかった。ファンでもなんでもなかったのにおかしいと思う。でも見てしまった。ニュースやネットの情報、親交のあった人たちの語る言葉、どのパーツを拾っても私の感傷に触るものがある。これに似てる気持ちを私は知ってる。

 

自分を模索して、真面目で努力して、傍から見れば望まれてる愛されてるのに自分が一番自分を許可できない。他人を傷つける勇気を持てたら良かったけど、そんなことするくらいなら自分を責める方が楽だよね。

「私もだよ」って言ってあげたかった。

そして「こんな辛い人生を共に生きよう」って言ってあげたかった。

義妹も三浦くんも、そして私も、真面目すぎるんだ。でもね、真面目さが魅力的なんだよ。生きてるとね、そう思えるようになった。

二人が見ることがなかった「死にたい」の先の世界を、私はもう少しがんばって生きてみるよ。生きてさえいれば、楽しいことも多少あるみたいだしね。

ご冥福をお祈りします。

ただそばにいて、愛を伝えて。

有名人の方で自殺された方がいらっしゃると、

必ず

「誰か気付けなかったのか」

「何かできたんじゃないか」

「もしこうなることが分かっていたら」

と言う人がいる。

 

もし、

誰かが気付けたとして、

何かができるチャンスがあったとして、

こうなると分かっていたとして、

 

あの世に片足突っ込んでる人に

誰が何をできるんだ?

っていつも思う。

 

うつ病経験者だから言うけど、

 

今まさに苦しんで、

泣いて、叫んで、叩いて、

暗い言葉ばかりの人の

ただそばに、

ただそばにいる。

ただそばにい続けることができる人が、

この世に何人いた?

 

それができない人に

何ができるっていうんだ?

 

思い上がるのもいい加減にしろって思う。

 

私は本当に人の縁に恵まれていて、

危機的な時にそばにいてくれる人がいた。

ただ運が良かっただけで、

もしそうじゃなかったら

もうとっくの昔に死んでた。

 

だから、

「何かできたはず」って

いつまでも悔やまなくていい。

ただ縁がなかっただけ。

 

相手はもうあの世に片足突っ込んでるんだから

縁があったら相当なラッキー。

その相当なラッキーがなかったってだけ。

 

相手は相手の人生を生き切ったから

あなたもあなたの人生を生きて。

 

大切に想っている人に愛を伝えて。

気持ちは思ってるだけじゃ伝わらない。

舞台に立って、

最後列に座ってるあの人に伝わるように

愛を伝えて。

眉一つ動かせば伝わると思ってるのは

あなただけだよ。

 

そしたら

もしかしたら

救える命を救えるかもね。

 

私はそう思います。