お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

このブログを始めた理由~時は1年3ヶ月前に遡る

このブログは、2度のうつ病を乗り越え、34歳から不妊治療通院を始めたが、色々あって過呼吸(パニック障害)になって、今ここで立ち止まり、「自分を知る」ということをやり始めた私の「人生の勉強」の軌跡を綴るものです。

 

ちょうど1ヶ月前、私は職場で過呼吸を起こしました。

「あぁ、また、あの暗い世界に戻ってしまった」

帰宅して、そう思いました。

 

私は過去に2度、うつを患っていますが、2回とも、社会生活が営めるくらいに回復しました。

いわゆる「寛解」という状態です。

 

それでもやっぱり怖いのです。

「うつの、あの暗い世界に戻る」ことが。

 

「戻りたくない」という気持ちは、

うつになったことがある人なら共感してもらえると思います。

 

荒れに荒れまくった3日を過ごし、1週間仕事を休んだ頃、気づきました。

 

「もう戻ってこないために今、しっかり向き合おう」

「今は人生の勉強をするチャンスだ」

「そのためにはまず自分を知ることだ」

 

気になった本やサイトを片っ端から読み漁ること10日。

知人が行った「魔法のしつもん」という自分を知るためのワークに参加しました。

自分がない中でも、何かアウトプットする気持ちがあることを知りました。

 

このブログはその最初の一歩です。

 

35歳。女性。既婚。子なし。

うつ。パニック。片頭痛

妊活。人生設計。生き方。

書くこと。演じること。

私のリアル。

今のこの気持ちは、今しか書けない。

自分の人生を真正面から感じ、記録する。

それは未来の私にとって必要なものだと思う。

そして、それが同じ悩みを持つ人の役に立つなら幸いです。

 

 

さて、この35年間の人生は繋がっているので、どこかから切り取ることになるわけですが、その始まりを1年3ヶ月前、不妊治療通院を開始した時からにしたいと思います。

 

不妊治療とパニック?何か関係あるの?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

私たち夫婦には子供がいません。連れ子もいません。お互い初婚です。

一方で女性が妊娠できるのは、初潮が来てから閉経するまでの、人生の一定期間のみです。一般的に20歳から35歳が適齢期と言われ、35歳を過ぎると妊娠率はガクンと下がります。

「子供がいる人生なのか、いない人生なのか」

そんな重要なことが今まさにこの時期に決まるのです。

子供がいるか、いないかで、お金の使い方、時間の使い方がかなり変わります。

どういう人生設計をするのか、どういうつもりでこの人生を進めるのか、子供の有無で大きく変わる。

だから私の人生は今、住む場所や仕事など、ほとんどのことが仮定で進んでいます。

自分の人生の方向性をしっかりと決められないストレス。

それが、結婚してから今日に至るまで、常に心の奥底で感じ続ける不安になり続けたように思います。

 

そのストレスに対して何もしてこなかったわけではありませんが、なかなか病院に行くと決断できずにいました。

治療には高額なお金がかかります。子供はできたけど貯金はなくなった、ではその後の生活ができません。

それに痛い、辛いという話もよく聞くし、

もし検査をして不妊の原因が私だったら…事実を突きつけられるのが怖くてたまりませんでした。

ですが結婚して8周年を前にして、その恐怖よりこのままでい続ける恐怖の方が上回ったのです。

今までのやり方で妊娠しないのなら、より積極的なやり方をしなければならない。

 

そうして通院をスタートさせたのですが、大きな問題が立ちはだかります。

それはお互いのセッ クスや愛情表現に対する考え方の違いでした。

既に妊活を進めている方からすれば当たり前かもしれませんが、妊活と共に、パートナーシップやセクシュアリティの問題にも突き当たっていく中で、私は過呼吸となり、うつと同じように強制停止をかけられることとなったのです。

 

基本的に2019年1月以前の記事は全てその当時の文章をこちらに移したものです。

その場合は【2017年12月31日】と記事の頭に書いています。

それ以外でも注釈がある場合はその時書いたものだと思ってください。

当時は妊活だけにフォーカスして書いていたのであまり心理描写がないんですが、そのまま掲載したいと思います。