入れる前に出す…ということ
先に面接があるので、まだ行けると確定したわけではありませんが、職業訓練に行くと決めました。
スーツがないので買わないと、と思っていたんですが、これから先もめったに使う機会がないので、妹から借りることにしました。
クリーニング代だけで済みました。
志望動機など質問されそうなことの確認、受験場所や時間の確認、服装の確認…と準備を進めていく中で、なぜか片付け欲が高まり、ミニマリストさんの動画を見たりして。
試験の前になると片付けしたくなるのと同じかな~と思っていたんですが、なんとなくそれとも違うような…
試験の前に片付けしたくなるのは、空間がすっきりして片付いていると勉強効率が上がるらしくて、それを無意識に分かっててやってるらしいです。
あと、片付いてない部屋に住んでる人で、全てのモノが手の届く範囲に置いてる人もいますが、それはやることが多くて、その全てを脳の中に収めることができないから、身の回りの見えるところに置いて、脳の容量不足を補ってるそう。
私のモノの置き方がそうだったので、すごく納得しました。
過呼吸になった時がまさにそれだったのかなと思うんです。
あの時はやることもそうですが、感情も脳の容量を超えてたんじゃないかと。
納得したり諦めたり、なんでもいいので何か感情をどこかに着地させて処理できていたら、まだ良かったかもしれない。また、どこかに誰かに感情を出して、解決できなくても脳の外に置いておけたら良かったかもしれない。
でも感情はやることの代わりにモノを置いておくみたいに、脳の外に出せなかった。
出せないなら他のことを減らして容量を減らせば良かったのかもしれないけど、それも難しかった。
過呼吸ってオーバーヒートした状態なのかもしれないですね。
過呼吸の後、仕事を辞めたり、妊活をいったん横に置いたり、家事を減らしたりしたのは、感情の処理に脳を使うために「やることタスク」を減らしたってことだったのかな。
「自分を知る」ことをやって「感情タスク」を処理していって、少しスキマができたから、より能動的に「自分を知る」をする方法として職業訓練が出てきた。
訓練に行くにあたって、いろんな不安が出てきた。
生活が変わる不安、社会に出る不安、全く知らない人に会わないといけない不安、嫌な記憶と向き合わないといけない恐怖…
「ただ感じる」ということに時間を使った。
それでもまだ多いというか、重い感じがするんですよね…
今思えば「汚れに気付いたら、気付いた時にちゃちゃっと掃除する」とか昔は無理って思ってたことを最近やってて、自分でも心に余裕が出てきたなと感心していたんですが(笑)これって「やることタスク」に対するやり方が変わったってことですね。
重さを感じてるから、さっさと片付けて軽くしたいんですね、きっと。
人の容量には限界があって、なにか新しいことを脳に入れるにはなにかを出さないと動作が遅くなる。まだ入るからと言って入れ続けるとオーバーする。
あぁ、なんか、勉強してきた断捨離な考え方が、やっと行動とか生き方とかに結びついた気がします。
今まで片付けという一面でしか理解できていませんでした。そういうことだったんですね…