お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

喘息と人生の使い方

すごく極端な話かもしれないけど、「あなたの人生はあと何年ですよ」と言われた方が生きやすいと思ったりしませんか?

森鴎外の『高瀬舟』の中に『人生は、何かを成すには短すぎ、何もせずにいるには長すぎる』という文章があって、当時高校生だった私は衝撃を受けた。

小さい頃から、「私は何かを成すのだ」と思ってきた私にとって、成すための時間が足りないかもしれないということは、ますます「早く大人にならなくては」という気にさせた。

先日、また呼吸器科の病院を受診した際に衝撃の告知をされた。

症状が緩和しても、吸入薬だけは続けないといけないということだ。

主人も喘息だが、喘息は人それぞれであり、いつ、どういう症状が、どのくらいの強さで、どのくらいの時間続くのか分からないし、それに対してどの薬が自分には合うのか、どうしていたら楽なのか、どの季節が酷くなるのか、これから自分を観察していく必要がある。
今貰っている薬が効いているようなので、それで様子を見て、続けていくうちに炎症が治まって、ちょっとした刺激で反応するようなことはなくなっていく。
ラソン大会に参加できるくらい元気な患者さんもいる。
…ということだった。

私はその場では「分かりました」と答えた。
主人の様子も見ているし、自分の片頭痛との付き合い方と似ていたから、治療のイメージが想像できたから。

私がなるのは「すぐ死なない病気」ばかりなので、またかーって思った。

…そう。
また、なのだ。

あの生みの苦しみをまたやるのだ。

私の片頭痛の歴史は高校1年生、15歳の時に遡る。
当時は頭痛外来をやってるような病院はなく、頭の画像を撮っても異常なしで、痛くなったら市販の頭痛薬でしのいでいた。薬が効かない時ももちろんあって、その日は学校も用事も全てキャンセル。そんなことが続くと信用もしてもらえないし、私も約束はできなかった。

頭痛は拍動性があり、左こめかみが多かったが、左右で痛い時もあれば、頭全体が重い日もあった。

拍動性の痛みは一度起これば3日は酷い痛みが続く。この間は外出できない。それを過ぎれば外出はできるが、立ったり座ったりした時にズキンとする。それが1週間は続く。
こういうことが月に1度は必ず起こる。なぜか生理と一緒に来るから。
辛いから横になっているが、別に横になっていれば楽になるわけではない。ただ動けば酷くなるから横になって動かずにいるだけ。

じゃあ月の半分は頭痛だけど、あとの半分は大丈夫ね!と思うかもしれないが、それは拍動性の痛みのことだ。
毎日頭を締め付けるような痛みがする。拍動性の痛みは、締め付ける痛みにプラスされるイメージ。
正直に言って、頭痛のない日はなかった。

そんな日々を5年過ごした。
母の姉も同じような頭痛に悩んでいて、自分が行ってる病院に連れて行ってくれるというのだ。
正直最初は期待してなかった。なぜならドクターショッピングは今まで散々してきていたから。
でもここの先生は違った。
ここで初めて片頭痛だと診断された。
遺伝性の典型型の片頭痛であると。
典型型は前兆があり、その後直ちにもしくはしばらくして拍動性、片側性の頭痛が起こるタイプ。
前兆はアメーバのような模様が見える人、雷のような光が見える人がいるらしいが私は両方見える。昔から見えていて、みんな見えるのかと思ってたけど、違うらしい。伯母さんも見えないそうだ。まさか頭痛と関係があると思ってなかったから、これからこれが見えてどのくらいで頭痛が起こるのか観察することになった。
遺伝は母の姉だけでなく、妹も片頭痛だそうで、姉は30歳頃発症の前兆のないタイプ、妹はいつからか分からないけど、休日だけ出るタイプだそうだ。先生によると私のように10代で発症した遺伝性の人が一番症状が酷いらしい。

薬はカフェルゴットを処方された。前兆があったらすぐ飲んでと指導された。痛みが酷くなってから飲んでも効かないからと。効かなかったら少し時間を置いてもう1錠まで。それでもダメなら寝とけって言われた。なんだそりゃと思ったけど、「原因もメカニズムもよく分かってない病気で、対処療法だから限界がある。チョコ、チーズ、ワイン、サラミが誘発すると言われてるけど、患者さんによって何がダメか違う。あと音、光に過敏になる人もいるし、冷やしたら楽になる人もいる。女性の患者さんはだいたい生理と連動していることが多い。人によって様々だから。まーでも痛い時は動けないでしょ、だったら寝とけ。でも寝過ぎも気を付けてね」と言われた。

わー書いてて思ったけど、この人によって様々な感じ、呼吸器科の先生の言い方とほぼ同じ☆

まーそんな感じでやっと診断を受けて、片頭痛との付き合い方に慣れ、約束を出来るようになり、学校にも行って、バイト週5で入れられるようになるまで3年くらいかかりました。

あー今回もこのくらいかかるのかしら…

まぁ、でも、今回は診断はすんなり出たから、無駄なドクターショッピングしなくて良かっただけましだけど。

 

大学の時、同じサークルに喘息持ちのT内くんという男性がいて「体調悪い時に授業に出て、良い時に遊ぶ」って言ってて、衝撃を受けたんですが。
なにせ、私は体調良い時に学校行って、悪い時は引きこもってたんで。
それって、自分の人生の使い方なのかなって思うんですよね。
自分の人生の時間の中で、動きやすい時と動きにくい時があって、動きやすい時に何をやるのか。それは彼にとって、自分のやりたいこと、楽しいことだった。
私はきっと、そういう時間にやるべきことをやってたと思うんです。楽しいことはやるべきことをやってからしかやってはいけないと思ってた。でもそうしてたら一生来ないんですよね、楽しいことをやっていい時間。

だからいっそのこと、「あなたの人生はあと何年ですよ」って余命宣告された方がやりやすい。時間がないんですよ。だから、やるべきことなんてやってる暇ないって言えるし、誰も咎めない。

喘息になって、どうして主人があんまり喋らないのか分かったんです。それは喋るのきついから。
私は喋るの大好きだから、こんなに長い間、喋れないのが辛くて。
でも風邪みたいに「治ったら」また喋れるようになると思ってたのに、片頭痛のように「付き合っていく」ことになりそうだと。
もう今までのように自由に喋ったり歌ったりできない。
また一つ、私の「できること」が減った。
それが悲しい。

じゃあ私はT内くんみたいに、体調悪い時に何をして、体調良い時に何をするのか?
限られた私の時間に何をしたいのか?

それを考えないといけないんだなと思った。まるで余命宣告されたような心境で真剣に。もう時間がないから、本当に望むもの以外は取捨選択して削ぎ落として。
表面的なものは要らない。役は払って脱いでいく。