お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

うつと片頭痛(追体験からの考察)

(2020.09.30 追記)

↓前回の続きです。

first-asahi.hateblo.jp

なぜ今回の経験が、うつと片頭痛が一番酷かった20歳前後の経験の追体験だったのでは、と思ったのかというと、改めてうつと片頭痛の高い関係性を思い知ったからだ。

 

片頭痛との付き合いも20年となり、薬の使い方が分かり、生活の仕方が分かり、「20歳の頃が一番酷かった」と言えるようになってくると、あの頃のあの痛みが何だったのかよく分からなくなっていた。「辛かった」「苦しかった」のはしっかり憶えている。でも何がどうしてあんなに痛かったのか、よく分からない。若かったから痛みも鋭かったのかもとも思ったけど、違った。

うつ状態で頭や心がいっぱいの状態で、仕事というさらに頭を使うことをやろうとして、頭がオーバーヒートを起こしたのだ。それが頭痛だ。

こういう状態を東洋医学では「気の上衝」という。本来体中を巡っているはずの「気」が、頭を過剰に使うことによって上にあがったままになり、下に下がってこなくなる。こうなるとのぼせやめまい、さらには頭痛を引き起こす。

この現象はパソコンに置き換えるととても分かりやすい。私は以前「感情タスク」という考え方をブログに書いたが、

 ↓これ。

first-asahi.hateblo.jp

うつ状態が「感情タスク」過剰状態とするならば、もう脳の容量はほとんど残されていない。その状態で大学の授業や仕事に向かおうとするならば、すぐに容量オーバーとなり、異常発熱を起こす。

20歳の頃はうつによる「感情タスク」だけで脳の容量オーバーだったのではないだろうか。だから毎日頭が痛かったのだとすれば簡単に理解できる。それなのに当時の私はそれに気付かず休むことに罪悪感を感じ自分を責め「感情タスク」をさらに増やしていた。本当はもっとしっかり休んでオーバーヒートを鎮静化し、「感情タスク」を徐々に減らしていけるように自信のなさや罪悪感、将来の不安に向き合い、対処できる足掛かりを見つけた方がよかったのだ。

当時もうつと頭痛に関係性がありそうだということに気付いていたが、ここまで体系的な理解はしていなかった。

きっと私は今、あの頃やり残した課題を取り返しているのだ。

時が過ぎ、あの痛みの混乱から離れて初めて、冷静に知ることが出来る。

知ることが出来れば対処することができる。

 

そういう気付きから1週間経った昨日、また新たなことを知りました。

「思考の多動」という言葉です。

メンタルの状態が悪い時に、何かのきっかけで脳のパソコンが次々と記憶のウィンドウを開いていってしまう状態のことだそうです。記憶の連想ゲームとも言われていました。開かれるのは大体嫌な思い出だそうで、嫌な気分になるけど、止められないそう。

私もたまにシャワー浴びてる時に嫌な記憶がバーッと自動再生されて嫌な気分になることがあって、そうか、そういう名前なのかと。

ADHD(注意欠陥多動性障害)について紹介する動画で知って、私はADHDではないので違うかもしれないんですが、そういう症状があって、そういう名前だと知ることは有益なことだと私は思います。検索ワードが分からなければ検索することすらできないし、診断がつかなければ治療することもできませんから。

  ※これを書いた数日後、精神科の先生に「この現象をそう名付けていいですか?」と聞いてみましたが、「ADHDの思考の多動とは少し違う」とのことで、名付けるのは止めました。「思考の多動のような状態」と言うのに留めたいと思います。

また「重要なのは、メンタルの状態が悪いことが根底にあって思考の多動が起こるってことです」と動画では言っていて、脳が混乱状態にあり、本来繋ぎ合わせなくていい記憶を繋いでしまい取捨選択できていない様子が伺えて、その様子が仕事でミスしてリーダーさんに助けてもらった時に似ていると思いました。あの時も混乱して区別しなければいけない内容をくっつけて説明してしまったために起こったミスでした。

このタスク過剰になっている感じも私の考察と共通するところがあるなと感じました。

「感情タスク」が増える要因はメンタルの状態が悪くなることだけではないし、容量オーバーは「やることタスク」が多すぎても起きることなので一概には言えません。

でも今の私はそういう状態だと思うし、そうだったら、容量オーバーで動き過ぎる脳の動きを落ち着かせるために安定剤などを服用して、落ち着いてできることだけ対処するということが大切なのではないか、と思うし、今の私にはそれが必要だと思っています。