お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

2月の精神科通院後の気付き

2月16日、月1の精神科通院日。

主治医の先生1人体制から医師1人・心理士1人の2人体制に移行して1年が経った。

先に医師の診察を受ける。

短時間しかとれないと言われているので、手短に最近の体調や考えていること、服薬状況を伝えて終わる。

(1年前の1月にアルプラゾラム10錠を処方され、頓服で1,2回服用しただけで、最近は全く飲んでいません)

最初の印象が悪かったこともあり慣れなかったが、徐々に先生の性格というか、傾向が分かってきたので、今は問題ない。

次に心理士の先生のカウンセリングを受ける。

柔らかい雰囲気の方で、最初は話しやすかったのだが、最近はなにか違和感を感じている。

 

カウンセリングと言っても、前回の来院から今回までの間、約1ヶ月間で感じたことや考えたことを私が一方的に話す感じで、いや、それは以前の1人体制のときもそうだったのだが、以前はもっと「話せてよかった感」や「大丈夫感」があった。

でも今はそれがない。

なんか「暖簾に腕押し感」というか、「本当に一方的に話してますけど大丈夫ですか?先生つまんなくないですか?」って感じなのだ。

うまく言葉にできないが、これでいいのか、先生に尋ねてみた。

すると「マイペースに考えることができているので大丈夫だと思いますよ」と。

聞きたかったのはそこじゃない…

けど、うまく話せない…

「人見知りしてるのかも…?」と捻り出した。

「1年経ったといっても月に1回1時間、まだ合計12時間しか会っていないから…かもしれないですね」と言われて、そうなのかも?と思ったけど、そうではない気がした。

でもそれ以上、この場では分からなかったし、時間切れだったので、そのまま帰った。

 

その夜、考えていた。

人見知りをまだしてるということは、まだ先生に心を開いていないということだ。

以前の先生はそんなに時間はかからなかった。

いつも私が話す内容にうんうんと耳を傾け、たまにおもしろそうな表情を浮かべたり、「完璧でなければいけない」などと極端な考えになっているときは厳しい表情をされ、私はその反応を見て「あれ、おかしいですね」と気付かされたりした。

人は反応でしか判断できない。

相手の反応で自分の立ち位置を確認し、相手の言動に対する自分の反応で自分の気持ちを知る。

心理士の先生とお話をするのはきっとそのためだと思う。

が、今の先生にはそれがない。

先生と話しても私に「話し甲斐」がないのだ。

「暖簾に腕押し感」とはこのことだ。

 

では、これからどうすればいいのか。

先生に直接「なにを話したらいいですか?」と聞いてみようか。

カウンセリングに必要な情報が足りていないのかもしれないから病歴を話そうか。

先生は今のところ私をどういう人物だと感じているのか聞いてみようか。

いろいろ考えたけど、なんかもやもやする。

なんで治療者である心理士に患者の私が寄っていこうとしてるんだろ?

心理士は私を助けてくれるはずの人間だよね?

仕事の上司とかだったら違うけど…

 

前の会社の苦手だった上司を思い浮かべて気付いた。

先生は「マイペースにやってるな」と思って見守ってるつもりだけど、私には必要な手助けをしてもらえてない感じがしてるんだわ。

 

なるほど。今まで同じパターンを繰り返していたのだ。

 

先生はマイペースを尊重して「助けを求めたら助けよう(必要になったら言ってくるだろう)」と思ってるけど、

私は助けを求め慣れてないから、いつまでも一人でがんばってる。もう助けを求めてもいいような困った状態なのに。

 

上司は私の持病が悪化して、それでもどうにか対応しようとしている様子を見て静観していたけど、

私は「持病と付き合いながら時短で無理しない範囲で働こう」と思っていたし、体調は自分のことなので、持病が悪化しても特に相談しなかった。しかしその働き方では求められる生産性が維持できないことが分かり対応を求められたが、体調を無視した要求ばかりで一緒に考えようという姿勢はなく孤軍奮闘した。

(ただ会社なので上司にどこまで対応してもらえるかは上司次第だし、この上司は難しかったと思う)

(また、会社の上司を「助けてくれるはずの人」と思っていいのか分からない)

 

私は「一人でがんばる」に慣れているのだ。

誰かに助けを求めるという発想がない。

なので、どこが「助けを求めるライン」なのか分からない。

助けの求め方も分からない。

先生は(助けが必要になったら言ってくるだろう)と思っているかもしれないが、それは見誤っている。

私は「助けを求めるライン」を見極められない。

 

だから治療者として必要な反応(介入)は行い、信頼関係を築いていくべきだと思うのだが、たぶんタイミングが難しいんだろうな。

なぜなら私が「閉じてる」から。

以前上司に「閉じてるよ」と言われた。閉じてるから周りの様子が分からず必要な行動がとれないのだと。

私は正直、上司に対して心を閉ざしていたし、お前がいけないんだと責任転嫁されたと感じたので反発して「異変は察知していたし、きちんと指示を受けて対応していましたよ」と答えたのだが。

さておき、「閉じる」にはそこに至るまでの流れがあるのだ。

助けてくれるはずの人が遠くから見てるだけでずっとなにもしてくれなかったら、そりゃあ心は開けない。

 

(元上司としては、遠くから見てるだけでも大変なんだから心開けよって感じなのかしら?)

 

このパターンいつからなのかしら…と考え始めた。

小さい頃からなんでも一人でやって、誰にも助けを求めず、誰にも頼らず…?

「頼れる人は誰もいない」…そんな感覚はない。

拡大家族で育って、みんな関係し合いながら生活してるんだから、そんな感覚持たないでしょう。

 

助けを求めても誰も助けてくれなかったんだな…と思った。

高校1年生のあのとき。

部活の人間関係の悩み、授業の予習に追われ寝不足。

毎日のように頭が痛くて、病院も何か所も行ったけど分からなくて気の持ちようとか言われた。だったら精神科を紹介してくれれば良かったのに。当時(1999年)は精神科に対する壁が高く、鬱などのメンタル疾患への理解がなかった。

なにをしても改善しない。自信の低下。憂鬱な気分。朝起きれない。遅刻・欠席が増えた。

無理をし続けた私を止めてくれたのは精神疾患経験者の先生、ただ一人だった。その先生もしばらくして退職された。

家族も学校も病院も、私に適切な介入ができなかった。

大学2年の6月、私は自ら精神科を受診した。鬱病と診断された。

「誰も私を助けてくれなかった」

この恨みとも悲しみとも言える感情が、25年経った今でもまだ癒えない。

そのことに気付かされた。

 

25年間、たくさんの人が私に近づいたかと思えば横を通り過ぎ、遠くから見るポジションへと離れていった。

大人は私に対処できないくせに、偉そうに上から目線のことを言ってくる。うるせーな、まず心に寄り添えよ。正直に言えよ、私の心に近づくと黒いものに飲み込まれて辛いから近寄れないんだろ?

どうせ分からないんでしょ?なにも理解できないからなにもできないでしょ?

だから期待するだけ無駄。助けなんか求めても意味ない。

どうせ助けられないくせに偉そうにしてんじゃねーよ!

さぁ助けてみろよ!

 

腹の底に煮えたぎるような好戦的な恨みがある。

心理士に一方的に話すだけでなにも得るものがないのは、好戦的に叩きつけてるだけだからだな…反応がないから「お前も遠くから見てるだけなのか?私をひとりぼっちにさせるのか?」って。

 

私、本当にピンチで、本当に助けてもらいたかったときに助けてもらえなくて、傷ついたんだな。

ひとりぼっちでがんばった。がんばってきたんだな。

えらかったな。

助けてくれなかった周りの大人に絶望して、失望して、助けを求めるって選択肢を失ったんだな。

だから隙を与えぬほど、ひとりでがんばって、倒れて。

そんなパターンを繰り返してきたんだな。

「助けてもらえなかった」という心の傷が、まだ癒えていないんだな。

 

そんな私を許そう。

傷を癒そう。