結婚10周年…妊活を卒業します
先日、結婚して10周年を迎えました。
もう以前から意識していたことですが、10年を機に妊活を卒業しようと思います。
40歳まではがんばらないといけないのかなとも思ったんですが、去年1月に過呼吸で倒れてから1年、いろんなことがあって。
決めた、というよりは、
もう長いこと心が向かなくなっているのを認めて言葉にしたという感じでしょうか。
この1年、「自分を知る」をやっていく中で、子供を持つということ、家族のこと、家のこと、夫婦の愛のことなど、いろいろと感じたり考えたりしてきました。
「過呼吸になるまでがんばったんだから、もういいじゃないか」とも思ったんですが、私にとって『がんばる』って当たり前のことだからか、「だからいいよね」とはならず、長年やってきた基礎体温の測定や排卵日の予測、タイミング、サプリメントの摂取などは自然と意識に上がってくるので、気が向いたらやったりやらなかったりしている感じでした。
8月5日のブログ
の後半に「(命を、社会を、国を、次に繋いでいく)繋がりに繋がりたいんだな」と書いています。
私が生まれたのは、先祖代々の土地を持ち、家を継ぐという考えがある家庭でした。加えて私自身も歴史が好きで、天皇家や武家などの家が繋がってきた感じも好きでした。
私が小学5年生の時、祖母が脳梗塞で倒れました。それ以来約20年間右足に残った障害に苦しみ、約15年間自宅で介護をしました。
そういう家庭で育ったので、家族は支え合うものだし、家は続いていくものだと思っていました。
私のきょうだいは女3人で、姉と私は先に結婚して家を出たので、妹から「家を継ぐつもりで、彼氏にうちの名字を名乗ってもらい、子供ができたら結婚するつもり」と聞いていたのですが、それを聞いた8ヶ月後、「結婚する」と報告を受けました。
私は「ということは妊娠したんだな」と思ったんですが、例えば心音確認してからとか安定期入ってからとか、妊娠を発表するタイミングがあるんだろうと思い、こちらからは何も言いませんでした。
それから他のことで口論になり、最悪の言い方で妊娠を報告されました。
私は大泣きに泣きました。
このやり取りを見ていた母は、「こんな人(妹)と一緒に生活したくない」と不快感を示していました。
家は土地と建物があれば家と言えるでしょうか。家を継ぐとはそういうものを相続することだけでしょうか。
違う。
家とは家族である人と人が思い合って支え合って生きていく場所のこと。そうやって各時代の家族が紡いできた時間が繋がって、家が継がれてきた。
鎌倉以降の武士の世で大事とされた「家名の存続」も、それを守ることが今生きてる家族が生きるために最適な方法だったからだ。だから継ぐのは養子でもよかった。
今を生きることが目的で、家の存続は方法。
妹がやっているのは形だけのことで、家族の幸せを置き去りにしている。それが「家を継ぐ」ということではないのに。
妹の件は極端な例を見せられたんだと思う。
家は継がれるが、家族の気持ちはないがしろにされている
家族の絆は大事にされてるけど、次世代には継がれない
どっちがいい?って。
私は後者がいい。
私が憧れてきたのは、
【家族である人と人が思い合って支え合って生きていく。そうやって各時代の家族が紡いできた時間が繋がって、家が継がれてきた。】
このイメージ。
なのにこれまで私は子供ができて繋がることに価値を置いて、そればかりをしてきた。
本当に大事にしないといけないのは目の前の家族と幸せに生きることであって、私の大切な時間はそのために使わないといけなかった。
次に繋がることが家族の幸せであり、私の幸せだと思ったけど、違った。
現実を見ると、誰も幸せにしていない。一つの笑顔も増やしていない。
そんな景色しか見えない妊活の世界。そんな世界からはもう抜けないといけない。
抜け出して、別の世界から別の景色を見たい。
そしたらまた何か気付きがあるはずだ。
「子供を育てることで人として成長がある」という言葉がありますが、私にとっては「子供を持たないことで学びがあった」なんだろうなと思います。
子供を持たないことで、人生について、家族について、夫婦について、愛について、自分について、深く感じ考え、気付きがあった。
そんな人生の時間が私には必要だったんでしょう。
おかげで夫婦仲が良くなりました。
妊活を卒業するといっても、これからもセックスはするので、ひょっこり妊娠はするかもだし、パートナーシップはこのブログのテーマの一つなので、なにかあったらまた書くと思います。
ま、とりあえず妊活はここで一区切りということで。
ご報告でした。