お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

『前者・ふーん族』と『後者・めっちゃ族』な私たち

なんだか夫婦関係に向き合っています。

今年の1月に過呼吸で倒れた時、クリスマス&年末年始の超多忙、友人の死、姉の出産、助成の効く人工授精3回目後の生理(妊娠せず)と…色々なことが重なった結果、過呼吸になったのですが、その中で一番私を苦しめたのは「私は夫に愛されていない」という強迫観念のようなものでした。

それは感情でもあり、考えでもあり、前提でもあるような強いもので、日常の色んな出来事の中に「愛されていない証拠」をいちいち見つけて「やっぱりそうだ」と強化していく辛い日々でした。

そして過呼吸で倒れて強迫の強さが少し弱くなった時に、主人は頑張って愛を伝えようとしてくれたんだと思う。『ふーん族』なのにね、あの時だけは頑張ってくれた。

 

あの時から8ヶ月が経って、また『ふーん族』の愛し方が分からなくなった。正しくは『めっちゃ族』である私がどうやって『ふーん族』の愛し方で満足するか、かな。

で、『ふーん族 恋愛』などの検索ワードで色々検索してみたら、意外にも私の心に引っかかったのは『前者』についての記事だった。

ちなみに私たち夫婦は、主人『前者・ふーん族』、私『後者・めっちゃ族』です。

 

その記事にはこう書いてありました。

「前者はいくら好きなことでも時間を区切ることができる(後者のように『時間を忘れて没頭する』ことはない)」

 

あのー…まず、好きなことを前にして時間区切れることにびっくりなんですが…それはさておき、つまりそれって『私とセックスするのが好きでも時間を区切ることができるから断ることもある』ってことですよね?え、楽天的過ぎますか?(笑)

いや、主人に直接聞いたことあるんですよ、あんまり断られるから「私とするの嫌いなの?」って。そしたら「嫌いじゃない」って。元々セックスしなくても大丈夫と言ってる人が、ですよ。私たちには必要だと、時間を使う対象に入るということです。

だから、時間区切って断ったとしても、それはただ単に区切っただけで、それ以上の意味はないんだと思います。

 

あと、こんなことも書いてありました。

「前者の課題は《『こうしたら相手が喜ぶ』と分かっていても『自分がこうしたい』と思わないならやらない》をやれるようになること」

 

前者の人は『こうしたら相手が喜ぶ』とすぐ分かるので、ついついそうしてしまうのですが、少しずつ負荷がかかっていて辛くなるんだそうです。それを止めてみる、ということですね。

主人の場合、私の誘いに乗って私の希望を叶えたら私が喜ぶのは分かってることですよね、でも断るわけです。『自分がしたいと思わないならやらない』をやるという前者の課題をやってるわけです。でも、この課題、誰に対してもやれることじゃないですよね。自分に忠実で自由な後者であり、妻である私が相手だから、できるんじゃないだろうか。え、またまた都合のいい捉え方してますか?(笑)

まぁ、主人のことなんで、『負荷がかかって辛くなる面倒臭さ』と『断られた私が暴れて、それに対応する面倒臭さ』とどっちがより面倒臭いか天秤にかけてるんだと思うんですけど。うちの人の判断基準のほとんどが『面倒臭いのは嫌』なので、今回は『負荷がかかって辛くなる面倒臭さ』の方が大きいと判断されたのでしょう。

でもね、思ったんです。私に人生の課題があるように、主人にもきっと人生の課題があるんだろうって。私にはそれが何なのか分からないけど、私が主人から学ぶことがあるように、主人も私から学ぶことがあるのかもしれない。

まぁ、私がいろんなことを考えたり感じたり調べたりしてる姿を見て、主人は「忙しいですなぁ」って感じらしいですけど(笑)

『前者・ふーん族』と『後者・めっちゃ族』、真反対の私たちだからよくわからなくて混乱するけど、知ることが大事だなと思ったし、まだまだ見てない記事がたくさんあるので、引き続き勉強していきたいと思います。