お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

「長男の嫁」

家族の繋がりに繋がりたい気持ちがあるから、墓掃除はとても素晴らしい経験だったけど、この家族は基本的に放っておく家族だから、私の家族観は少しベタベタした依存したものに感じたのかもしれない。

 

「墓掃除に行きます」と言った時、私の心にあったのは、嫁としての義務感と、今年は働いてないから行けますと言わないといけない感と、今後のことを考えて少しずつやって分かっていかないといけないという考えと、先祖供養する喜びと興味であった。

実際にやってみて、私はとてもやって良かったと思ったし、自然とご先祖様に対する感謝の気持ちが湧いてきた。素晴らしい体験だった。

けど、こうやって数日じっくり自分の心と向き合わなければ分からなかったほどに、私に「長男の嫁として正しい振る舞いをしなければならない」という枠がしっかりとはまっていた。

「自分を知る」ことをして、今まで言われてきたこと、当たり前とされてきたことを一旦なしにして、自分のやりたいことを自分に合ったやり方でやる、その方法を模索するということを今年に入ってからずっとやってきた。

でも、この枠がこんなにしっかりはまっていたとは気付かなかった。

 

私は主人の実家の家族は嫌いではない。自分が好きになった人を育てた人たちに対するリスペクトを持ち続けたいし、できれば好きになって、本当の家族になりたい。そういうつもりで接してきたし、良い関係を築いていると思う。姑や義妹との会話も楽しい。

みんなが好きだから、楽しいから一緒にいるという風にしていきたいし、「長男の嫁」にはまりこんで、主人の実家にべったりするのを止めないといけない。

私が「長男の嫁」をやっている限り、家族も私自身ではなく、嫁としての私しか見ないだろう。私は後者なので、完璧な嫁をやり切ることはできないし、「アサヒさんだから」と受け入れてもらった方が私は生きやすい。(おそらく家族のほとんどが前者)。

もしかしたら「長男の嫁としての私」しか欲していないかもしれない。

もしくは、最低限、親戚が集まる場所や葬式など、嫁としての振る舞いが必要とされる場面のみ、そういう振る舞いをして、あとは「私」として好きにしていいということかもしれない。

 

今はまだ、自分がどうすればいいのか分からない。

でも今回、私にこんなにもしっかりと「長男の嫁」という枠がはまっていて、それにふさわしい行動をしないといけないとか、そういうつもりで人生設計をしないといけないとか、自分を制約していたことに気付いたし、それと同時に、自分の人生を「長男の嫁」としての生き方に任せきりにしようとしていたと気付いた。

私は事実として、農家の本家の長男である男性と結婚した。農業の季節ごとの作業は何も知らなかったし、盆・正月にはいとこの子まで合わせると40人集まる本家での振る舞い方はとまどうことばかりという中で、新しい環境に適応するのに精一杯だったし、なにより新しい家族とうまくやっていきたかった。

嫁は元々は他人である。過ごした時の長さを重ねることでしか家族になれない。これまで積み重ねた9年間で家族に近づけたと私は思うし、そんな家族がいることを前提にして行動することは当たり前にみんなやっていることだ。だからこういう私の家族に対する気持ちを依存だと断ずるのは感情として難しい。

だから問題は家族や家族に対する気持ちではなく、私が「長男の嫁」としての生き方を「そうあるべき」と自分に課してしまったことだ。そこには「長男の嫁だったらこうするという先入観」がある。いずれは実家に戻って同居するとか、跡取りの男児を産まないといけないとか、供養の仕方を知っておかなくちゃいけないとか、そういうことだ。そういう振る舞いをしたいのか、したくないのか、心地よく思うのか、嫌な気持ちになるのか、自分で考えたり感じたりする間もなくそれを続けてきてしまった。事実として農家の本家の長男である男性と結婚したが、私の生き方まで自動的に「長男の嫁」にしなくてもよかったのだ。

私の人生は私のものだ。どうするかは私が決める。自分のアイデンティティーを「長男の嫁」という刺激的なワードに委ねてしまった。それがいけなかった。今こそ「長男の嫁」への依存を脱して自立しなければならない。実際の行動としてどうするかということはまだ分からないけど、その時その時で感じながら考えながら決めていきたいと思う。