お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

義妹と三浦春馬くん

10年前の7/16は主人の妹が亡くなった日だ。自殺だった。

その時私は結婚して半年というタイミングで、うつ病を再発して1年。まだ精神科に通院もしていたし、抗うつ薬も毎日服用、外出時や眠れない時に頓服の安定剤を飲んでいた。

義妹と接するうちに「危ういところがあるな」と思った。でもなぜそう思うのか、それは私がそっちの世界の住人だから。結婚して半年、打ち明けるなんてそんな危険なことはできなかった。それに分かる人には分かること。自分から言う必要はない。

もしかしたら義妹の味方に、力に、なれたかもしれない。でも家族になってまだ半年の兄の嫁にそこまで心を開くとも思えない。きっと私には何もできなかった。

事が起こって向かった主人の実家。私の自由を抑圧してきた実家と同じ大人たちが揃っていた。この構成員から私がお兄ちゃんを引き抜いた。きっとこの兄だけが妹の自由を肯定していた。

私のせいだ、なんてそんな思い上がったことは思わない。これはこの家族の問題。

ただ、「何が起こったのか何も分からない」と泣き、茫然自失の姑を見て、だから私はこの家に来たんだなと思った。自殺で娘を失い、抑うつ状態になった姑を、うつ病を経験してもなお生きてる私が支える。義妹の気持ちも、うつで苦しむ姑の気持ちもどちらも分かる。姑は今も精神科に通院している。

今年は義妹のことをよく思い出す。無駄に記憶力がいいので、その時の情景がまざまざと蘇っては私の気持ちを当時に引き戻す。

そんな時だった。三浦春馬くんが亡くなったとニュース速報が流れた。

30歳、この先ドラマ、舞台、CDリリースが予定されていたと聞いて、義妹を思い出した。義妹もアルバイトを始めたばかり、車も買ったばかりだった。「人が死ぬ時は準備せずに死んでいくんだ」と知った。だからそれ以来、自分が死にたい気持ちになっても「あれを片付けてから死のうと思っているうちは私はまだ大丈夫」と思うようになった。

ちょうどこの週は地域によってはお盆。お盆はあの世とこの世の境界が薄くなる。連れていかれたのかもしれない。あの世に行きたがっている魂を、良かれと思って。

ミュージカル「キンキーブーツ」での演技、歌唱の動画を見た。歌からすごいエネルギーを感じた。この魂を輝かせたいと体中から叫んでいるような歌だった。

この動画を見てから、私の中から三浦春馬くんが離れなくなった。日英共作のミュージカルに主演する予定だったらしい。でもルックスが良くて身長が高く、演技力歌唱力のある日本人俳優はなかなかいないらしく、代役が立たないらしい。確かに日本人であの高身長はなかなかいないかも。見たかった。

きっと亡くならなければあの歌を聞くことはなかった。ファンでもなんでもなかったのにおかしいと思う。でも見てしまった。ニュースやネットの情報、親交のあった人たちの語る言葉、どのパーツを拾っても私の感傷に触るものがある。これに似てる気持ちを私は知ってる。

 

自分を模索して、真面目で努力して、傍から見れば望まれてる愛されてるのに自分が一番自分を許可できない。他人を傷つける勇気を持てたら良かったけど、そんなことするくらいなら自分を責める方が楽だよね。

「私もだよ」って言ってあげたかった。

そして「こんな辛い人生を共に生きよう」って言ってあげたかった。

義妹も三浦くんも、そして私も、真面目すぎるんだ。でもね、真面目さが魅力的なんだよ。生きてるとね、そう思えるようになった。

二人が見ることがなかった「死にたい」の先の世界を、私はもう少しがんばって生きてみるよ。生きてさえいれば、楽しいことも多少あるみたいだしね。

ご冥福をお祈りします。