お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

お盆2019

自分が疲れてしまっていることを自覚できていなかったかもしれない。

最近の私は無理しないよう、予定を詰めず、気分が乗らなければ外出せず、気の向くままに過ごしてきた。

お盆を前にして、高校時代の友達と集まる予定が入った。最初はその前後に予定が入ってなかったので大丈夫だと思ったけど、お盆の前に美容院に行ったり、お盆のお供え物を買いに行ったり、墓掃除が入ったりして、予定が詰まっていった。気が付けば毎日外出することになった。

 

結婚した当初、主人の実家は祖母も姑もまだまだ元気、さらに主人の妹たちも実家にいたので、あまり出しゃばり過ぎても良くないかと遠慮したところがあった。さらには、私が接客業の仕事のため盆休みがなかったので、他のスタッフと休みの希望を相談して親族の集まりだけは参加して、後片付けだけ手伝って帰るということを長年してきた。

しかし今年は仕事をしていないし、祖母も年を取り、盆の準備を姑がほとんどやるようになって、妹たちも実家にいない。今年はお手伝いができるぞと、姑が墓の話をしたタイミングで「行きます」と言ってみた。姑は驚いていたが、すぐ笑顔になり、「おいで」と言ってくれた。

実家に帰省した妹も一緒に3人で祭壇を作り、墓掃除をした。土埃でガサガサの墓石をツルツルに拭き上げていると、自然とご先祖様との繋がりを感じ、感謝の気持ちが込み上げた。初めてしたけど、墓掃除って楽しいな、素晴らしいなと感動した。

翌日には私の実家にもお参りに行き、いつもより充実したお盆が過ぎていくはずだった。

 

8月15日、今日は主人の実家での集まりの日だった。姑が予約したお寿司などを受け取りに行き、それを持って実家に向かうと、まだ誰も来ていなかった。いつもの部屋にいつもの家族。そこに次々と親族が挨拶しながら入ってきてテーブルに座り、食事をし始めた。私は眠気に襲われ始めた。何かうまく話せない感じもする。

私は連日の外出の疲れに加え、この9年間、年に3回は会ってきた人たちに人見知りしていた。

こうなると軌道修正がなかなか難しい。1対1で話せる場面はまだいいが、複数での会話がうまくいかない。次第に会話に参加している風を装うようになったが、それすらも精神的負担が大きい。準備や片付けなど、サッと動くべきタイミングで出れない。「何しに来たんだろう」という自責の念にかられる。

今日は例年に比べて、みんな長居してなかなか帰らない。やっと帰ってくれて、片付けをして、帰るという時、私は姑に「明日の朝、来ますね」と言った。祭壇を作った日、姑から片付けも来てねと言われていたからだ。だが、姑は「明日は来なくていいよ」と答えた。「え、でも、〇〇ちゃん(妹)もいないから(来た方がいいですよね)」と返したが、「お父さんもいるから大丈夫よ」と断られた。

帰りの車の中で主人に「私が疲れているようだからとお母さんは気を遣ってくれたのかな」と聞くと、「いや、単純に人手が足りてるからじゃない」と言われて、確かにそうかもしれない、と思った。でもなんかモヤモヤしてる。

今まで全然お盆の手伝いしてきてないくせに何を言ってるんだって感じかもしれないけど、私は家族っぽいことをしたかったのだ。家族の行事に参加したかったのだ。手が足りていてもいなくても、家族のことを一緒にやりたかったのだ。

墓掃除から帰ってきて、エアコンと扇風機のかかった畳の部屋でダラダラしながら「昼ごはん何にしようか」と会話をするのが楽しかった。その昼ごはんのメンバーに私も当たり前のようにカウントされているのが嬉しかった。そういうのをやりたかった。

来なくていいと言われたので、もう行かないけど、なんとなく悲しい気持ちになったお盆でした。