お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

本を手放す

2週間くらい前に姉から連絡が来た。

「実家で妹が片づけをしている。自分が実家に置きっぱなしにしていたマンガの一部をアサヒがもらってくれないか」とのこと。

そのマンガは姉も私も好きだったマンガで全巻揃っている。

もらうと返事をして実家に引き取りに行った。

実家は数年前に建て替えた。その時に巷でよく言われる『実家の片づけ』は母がすでに片付け済みである。

妹は実家で同居するわけでもないのにどうして片づけをする必要があるのか。自分が実家を継ぐのだという意識が大きくなりすぎて、他の姉妹の持ち物がいまだ実家にあるのが気に入らないのだろう。

実家は父と母の住まいだ。もし嫁いだ娘の私物が置きっぱなしになっていたとしても、父と母がそれをよしとするなら、それはよしなのだ。どうしてそこに同居するわけでもない娘が口を出すのか。私はそれが気に入らない。

 

私も姉に返す本があったので、それと引き取る本を交換して帰宅した。

姉に返した本の分だけ本棚が空いている。

引き取った本が懐かしかったので、つい夜更かしして読んでしまった。

この本は高校生から大学生にかけて集めて読んでいた。

実は結婚に伴い今の家に引っ越してくる際に他のマンガも段ボール箱に詰めて持ってきているのだが、本棚コーナーを作るつもりで計画倒れになってしまい、今もまだ段ボールに入ったままになっている。

その中身もまた同じ懐かしい本たち。

…そうか、と思った。

たまに、「私が決めないから、あの人が悪役になってくれたんだろうな」という時がある。

神様的な存在があの人を悪役にして私に何か嫌なことをする。

私はそれをきっかけに「決める」方へ舵を切る。

そういう役割を妹がやらされてるんだろうな。

そう、思った。

だからといって「妹よ、私のためにありがとう、これまでのことは水に流すよ」とはならない。むしろ私の進化が終わるまで、しっかり悪役でいてもらって利用させてもらうが。

 

服の片づけがあらかた完了し、やっと必要で足りない服を買い足せるようになった。

気になっていた主人のパソコン周りとWi-Fi環境を整えた。

次はどうやら「本」の順番らしい。

本はマンガが多いのだが、遡ること小学5年生くらいから買い始め、これまで25年間ほど毎年買い、一方でほとんど手放さない。

加えて前職は本屋の店員で、コミック担当だった。好きな作家さんは買い逃さないし、いい作品を見つけるのも仕事がてら。増える一方である。

 

とりあえず、全部の箱を開けて中身を確認してみた。9箱ある。忘れていた本や途中で集めるのを止めてしまった本は手放しやすい。しかし、それ以外は手放しにくいだろうと思ったので、とりあえず確認だけして1週間寝かせてみた。

モノは時間をおくことでゴミへと変わっていく。要るのか要らないのか、自分に問う時間が必要なのだ。

 

1週間経って、大学時代に買った本が手放しやすそうだと気付いたので、9箱中3箱を要る、要らないに分けた。

それから3日経って、意外と結婚後に新たに買った本の方が手放しやすそうだと気付き、三段ボックスいっぱいに入っていた本のうち、約1段分を手放した。

そして昨日、12時間ほどかけて残りの6箱全ての本の分別を完了した。一部保留にした本もあるが、それも後々処理する。

手放すと決めた本は全部で4箱分。ブックオフに出張買取に来てもらおうと思っていたが、意外と状態が悪く、大半が引き取っても貰えなさそう。なので状態の良いものだけをメルカリに出品し、残りは資源ごみに出そうと思う。かつて気に入って買った本がごみになってしまうのは心が痛むが、仕方がない。また時間を置いてごみとして出す気持ちに変化したら行動に移そう。

 

本は私にとってはとても大事なものだ。

知識であり、情報であり、エンターテインメントであり、娯楽であり、癒しである。

毎月のお小遣いの使い道はたいてい本だった。

そんな大切な位置づけだった本を片付けた。

やったぞという達成感と、心にぽっかりと穴が空いてしまったような寂しさ、その両方を同時に感じている。

でもいつまでも過去と共に生きるわけにはいかない。

過去を断ち切り、今を生きる。未来に向かう。

そう決めたから。

少しずつでいい。でも着実な一歩だ。

世の中のミニマリストさん達からすれば、まだまだ多いと思う。三段ボックス2つ分の本が残っている。また後日、本棚コーナーに綺麗にひとまとめにして、残した本を並べようと思っているが、今の私が選んだ本だけが並ぶ本棚を想像するだけで心がワクワクしてくる。

いい週末だった。頑張ったね、私。おめでとう!