8月の精神科通院
ご無沙汰しております、asahiです。
持病の喘息が5月に悪化して、その1週間後に梅雨入りし、7月下旬に梅雨明けしたから段々と良くなるかと思いきや、胃腸の調子を崩し。
お盆には大雨に見舞われ怖い思いをしたけど、気温が上がらずエアコンが必要なくなったので止めたら体調が良くなってきて。
漢方の勉強したり、毎日の食事を記録して気を付けるようにしたら、お腹を下していたのが止まり、いい感じだと思っていたら、なぜか37.5℃の熱が出て、会社を休み。
熱が出たのは1日だけだったけど、会社の規則でそれから5日間の自宅待機に入り、急に夏休みをもらった状態で、今月の精神科通院日を迎えた…
どうも、そんな近況の私ですよ。
いつもは仕事してから行くけど、今月は家から行ったので、なんとなく落ち着かないというか。
いつもと同じ場所に、いつもと違う感覚で身を置くというのは、なんとも不思議というか、違和感を感じました。
仕事してる私と文章を書く私は背中合わせの存在で、どちらかが正面を向くと、もう片方は後ろを向いてしまって顔を見ることができない。
ここのところ、ずっと仕事の私が正面を向いていた気がします。
仕事しながらブログ続けてる人ってすごいなぁ。
さて、この1ヶ月で感じたことは2つあります。
1つ目は、私は今までずいぶんと厳しい環境にいたのかもしれないと思ったこと。
その象徴的な例として1つお話しました。
私が20代後半で結婚して3年ほど経った頃、実家の祖母が亡くなりました。
その当時は実家の近くに住んでいる娘は私だけ。「ばあちゃんが危ないから早く来て」と母から電話があり、すぐに駆けつけましたが、祖母はそのまま息を引き取り、通夜・葬儀を執り行い、私も手伝いました。
葬儀が終わり、親族だけが火葬場に向かうことになり、両親は霊柩車に乗るため葬儀場に残れないので、私が最後の片付けをサッと済ませてすぐ火葬場に向かうという予定でした。しかし、誰のものか分からない忘れ物があると葬儀場の方に呼び止められ少し時間がかかってしまいました。めったに行く機会のない火葬場。道も少し間違えてしまい、到着したら「私待ち」という状態でした。
すると母が「皆さんをお待たせして。皆さんに謝りなさい」と言ったんです。
正直言うと、恥ずかしかったし、事情も聞かずに謝れって何?って思いました。でも皆さんを待たせたのは事実だし、親子喧嘩は後でふたりでやればいいこと。
その場を収めるため、とりあえず謝りましたが、胸にモヤモヤは残りました。
それから3年ほどが経ち、今度は夫の祖父が亡くなりました。また同じように夫と私が親族控室の片付けをサッとして追いかけるということになりました。
「今度は遅れないように」と忘れ物や私物の確認を先にしていましたが、私の実家より夫の実家の方が親族の数が多いので確認できてないものが後から出てきたり、親族の中でも妊娠を理由に火葬場に行かない人もいて、また手間取ってしまいました。
「また怒られる、早く行かないと」と急いで道に出ると、何やら夫が電話をし始め。するとその道の先に、先に行ったと思っていた車がみんな路駐して待っていました。私たちが合流すると車列は動き始め、みんなで火葬場に向かいました。
火葬場に付いて、いとこ一家がいないことに気付きました。買い物があるからと私たちとは別で向かっていたそうです。しばらくすると遅れてやってきました。私は自分の経験があったので、お義父さんが怒ってるんじゃないかとヒヤヒヤしていたんですが、なんとも軽い感じで「じゃあ始めようか」と言っただけでした。
その時は怒られなくて良かったと思っただけでしたが、後の何かのタイミングで怒りがフツフツと湧き上がってきました。
夫の祖父の時みたいに待っていてくれたら、みんなの前で謝罪するなんて辱めを受けなくて良かったし、その前に、私は実家のためにと思って色々と動いていたのに、遅くなった事情を聞いたり心配するようなこともなく謝罪しろって、ひどいんじゃない?
そう思うと、私は今までずいぶんと厳しい環境にいたんじゃないかって思えてきたんです。
世の中には努力しても出来ない、結果が出ないということが山ほどあるけど、一方で出来ないのは努力してないからだと言う人もいますよね。
私も中学生くらいまで、やったら普通に出来るでしょ、くらいに思ってました。
でも高校生以降は、どうやっても出来ないってことが世の中にはあるし、フルパワーでやってダメだったら諦めもつくって思うようになりました。
実家の考え方っていうのは前者。「なんで出来ないの?何やってんの?謝りなさい」って価値観だったのかもしれないなと。だから経過はどうであれ、結果的に収まってしまえばどうでもよくなってしまう。
みんなの前で謝罪させるなんてはっきり言ってパワハラだし、夫の実家ができた後続車に対する配慮ができなかった人たちが私には完璧を求めるなんておかしな話だし、あれは不当な扱いだった。
いくら家族でも、そんな扱いは許さない。
…まぁ、そう思いながら、一方で冷静な自分がいて。
こうやって過去に怒りを感じたり、否定したりすることによって、過去から脱皮して、次の段階に進もうとしてるんだろうな…と。
先生は相変わらず「うん、うん」と言いながら聞いていました。
あと、この1ヶ月で感じたこと。
2つ目は、私は子供のままでいいし『大人』にはならなくていいということ。
私にとって『大人』というのは、『前者後者論』でいうところの前者みたいな感じで、悪意の応酬ゲームを楽しめる感じ。言葉が上滑りして何を言いたいのか真意が私には分からないし、楽しめないし、なんかずる賢い感じが嫌です。
(ちなみに私は後者めっちゃ族です)
以前は「社会人としてもっとしっかりしなくちゃ、大人にならなきゃ」と思っていましたが、どうしてもその『大人』に憧れを持つことができないし、いざ『大人』を求められそうな雰囲気になるとわざと避けてしまうような態度をとっている自分を自覚して、もう大人にはならず、子供のままでいいかと思うようになりました。
憧れてもないものになれるはずもないし、むしろこの素直さを気に入ってすらいるので失う必要もない。せっかく夫を笑顔にできるのに捨てることはない。
今月はアルプラゾラムを睡眠時にあまり使わなかったため、余りが20錠ほどあり、新たな処方はなかった。
気付いていなかったけど、確かに最近寝付けなくて困るということがなく、スッと眠れている気がする。良いことだ。
次回は9月28日。
次の1ヶ月はどんな1ヶ月になるのか。
精神科通院の記録はブログに書きやすいので、月1だけでも継続して更新できたらいいなと思っています。
良かったら読んでくださいね。
ではでは。