お手本は旦那様。

うつ、パニックを経験してやっとがんばることをやめた。「自分を知る」を続ける39歳女性の記録。

今週という日々を生き抜きました。

連休明け、メンタルに支障をきたし欠席しました。

一度崩れるとドミノのように倒れて行ってしまうと思ったので、入力も出力も必要最小限にとどめ、とにかく倒れないようにキープしたまま訓練に通うということを主眼に今週という日々を過ごしました。

そういう意味では今週のミッションは無事にクリア。

本当は土曜日は舞台を見に行きたくて、金曜日まで無事に過ごせたら行けるんじゃないかと思っていたんですが、そこまでは無理でした。

残念だけど仕方ないのかな…でも興味を持ったものを素直に見に行くということも大事だし…と自問しました。

結果的には行かなかったんですが…

私は持ってるエネルギーが少ないので、自分が興味持ったもの全てを見にいくとかやってみるとかしてしまうと、途中でエネルギー切れを起こしてしんどくなる。

そういう時に「私って本当はふーん族なんじゃないか」と思うんですが…

それはさておき、自分の興味の赴くまま行動できない悔しさを36歳になった今でも解消できないでいます。

多分主人が当たり前のように行っている『エネルギーの出力配分』を未だできずにいて、きっとそれができるのが『オトナ』なんだろうなと思う。

今週はそれをやった感があります。

主人に「私は持っているエネルギー量が少ないけど、出す量を細く少なくすれば普通の一日8時間週5勤務みたいな働き方が可能だと思う?」と聞きました。

すると答えはYES。

てっきりNOと言われると思っていたので意外で、何度も「本当にそう思う?」と聞いてしまいました。

主人がそう言うならそうなんだろうと思い、今週はそうしてみた。

なんでしょう、必要なだけ人と関わる感じです。介入していかない感じ。多分これだと友達はできないと思います。でも友達作りに行ってる訳じゃないからいいか、友達になるときは自然となるでしょとも思う。

思ったんです。

今までいろんな人が離れていった。

そして今も関係がある人たちはそれでも離れていかなかった人たち。

もしくは適度な距離感をとることに成功した人たち。

そういう人たちに囲まれてしばらく過ごしたからそれに慣れてしまっていたけど、これはとてもありがたいことだった。

訓練にきて全く知らない人たちに出会った。みんないい人たちだったから、そのありがたいこととまるで地続きであるかのように感じてしまったけど、そうではない。

もし新しい環境でそんな人に会えたのなら、それはとてもありがたいことであり、通常ならばそんな出会いはなかなかない。

そんな出会いがあったならそれは大事にするべきだけど、通常通りそんな出会いがなかったなら『オトナ』という名の出力法をするべきだった。

ただそこで問題になるのが、私はこの細く出す出力法で仕事をしてきていない。いつも全力。全力で取り組んでこそ早い頭の回転であり、速い行動なのであって、細い出力でどれくらいの仕事ができるのか私にはよく分からない…

でも多分、世の中の人たちはおそらく全力出力してない。だから私が全力でなくても『普通』になっただけなので、あまり問題ではない気がする。

そう思わせる発言を周囲の人から何度か聞いた気がする。誰かは忘れた。

これまで私ががんばって生きてきたこと、それはそうなんだと思うし、それは認めるけど、もうそれはいいか、という気分だ。

これからは自然体で細く出力する中でできることをやる。それでいいんじゃないか、そんな気がしてきた。

訓練に通ってみて、「私ってできる方なんだろうな」と思った。それが「がんばってできること」ではなくて「がんばらずともできること」だった。

あとはそれをどう仕事に繋げるか、自分の生きたい人生にどう繋げるか、考えるのはそれだけであって、あとの雑音はどうでもいいのかも。

長いと思った訓練がもうあっという間に1ヶ月経ってしまった。そんな調子で最後の日を迎えるのだろう。

予定になかった1ヶ月。意外な着地点に最後は立っているのかもしれない。