「知ること」ができれば問題の半分は解決する…気がする
心屋仁之助さんの著書『「夫婦神話」を捨てたら幸せになっちゃいました』を読みました。
現在、無職で失業給付を受給している私。
読みたいなと思いながら、本屋さんの近くに行きながら、なかなか「買う」ということができずにいました。
でました、「稼いでないのにお金使っていいのか問題」(笑)
主人に「買いたい本があるから食材の買い物のあと、本屋さんに行きたいんだけど」と言ったら「分かった」と言われたのですが、なかなか車を発進させず迷う…
心屋さんの言葉が頭をよぎりました。
…我慢するってことは主人の稼げる力を信じてないってこと。
…やりたくないことをやめる。
…やりたい、みたい、いきたいをやろう。
そうだ、私はやりたいことを我慢するために、仕事を辞めたわけじゃない。
もちろん仕事を辞めたらその分のお給料は入ってこなくなる。でもそこからは入ってこなくなるだけで、別のところから入ってくる。やりたいことを止める必要はない。
私は主人の稼ぐ力を信じてる。うちの人は最高の男!
「買うわ!」
車を走らせました。
購入して車に戻ってきて興奮した私はついつい主人にこう言ってしまいました。
「夫が稼いだお金で私の好きな物買ってやったぜ!」
すると主人はおどけた口調で
「いつものことですよ」
と言いました。
自分から振ったくせに癪に障った私は
「いつもじゃないよ、今はだよ」
と返したんですが、主人は冗談の応酬をしてるだけだと思っているので
「またまた~」
と返してきました。私が
「え!?私が働いてた時からそう思ってた?私の稼ぎなんて大したことない、いつも私はあなたの稼ぎで私の好きな物を好きに買って、なんて奴だって思ってた?」
と正面切って言い返したので、やっと気付いて
「そんなこと思ってないよ」
とだけ言って後は黙ってしまいました。
私もマジになりすぎたと思って、
「まったくヒドイよね~」
と軽く言って、この話題は止めにしました。
帰宅してすぐ、本を読み始めました。
ブログで「飛ぶ族・飛ばね族」理論、「めっちゃ族・ふーん族」理論は既に知っていたので、そこに関して新しいことはなかったんですが、その理論を発見するにいたるまでのご夫婦の紆余曲折を体系的に記してある文章を読むのは初めてだったので、なるほどなぁ、と思いながら読みました。
心屋さんご夫婦は、夫が「飛ばね・めっちゃ族」で、妻が「飛ぶ・ふーん族」だそうですが、私たち夫婦は、夫が「飛ばね・ふーん族」で、妻が「飛ぶ・めっちゃ族」。
タイプは違うんですが、お互いに対極にある人をパートナーに選んでいて、本にも書いてあったんですが、どちらが優劣ということはなくて、お互いがお互いに憧れていたり、惹かれ合ったりしている。
私は、男と女は脳の構造が違うから分からないことがあって当たり前、同じ女でも生まれた環境・年代が違えば考え方が違うのは当たり前、きょうだいで同じように育てられても私はうつになったけど他のきょうだいはならなかったように一人ひとり受け取り方が違うのは当たり前、だから誰とでもよく話して理解しようとすることが大事だと思っている。
理解しようとして理解できるとも限らないし、誰もが話そうとして話に乗ってくれるわけではない。でも「あなたとよりよい関係でいたいから知りたいんだ」という姿勢が大事だと私は思う。
その時に「飛ぶ族・飛ばね族」がいる、「めっちゃ族・ふーん族」がいるということを「知っている」だけで、その理解が早まるように思う。
私は「飛ぶ・飛ばね」理論を知る前は「私はマックスフルパワー頑張らないとこの世の中で生きていけない。だからずっと頑張らないといけないんだ」と思っていた。
そしてどうやら自分は「飛ぶ族」らしいと知って、最初は「できない奴」認定されたようで嫌だった。
でももうそろそろ頑張りが尽きてきたぞという時になって、「飛ばね族は気が向いたら飛ぶ族を助けてくれるらしい」「飛ぶ族が頑張ってやってることは、飛ばね族から見たら大したことない」「頑張ってやってきたことは本来やらなくてもよかったこと」という文章を読んで、えーってなった。
飛ばね族の主人に聞いてみた。本当に大したことないの?助けてくれるの?って。
そしたら、気付いたかって感じで「うん」。
「アサヒが頑張ってるから頑張ってるなーと思って見てる。でも頑張りすぎてダウンすることも織り込み済みなので、必要だったら助ける。それは止めとけってことやろうとしたら止めるけど、今のところそれはない」
なんだ。
そうだったのか。
じゃあ私は頑張る必要ないじゃないか。
だって頑張ってやったところで大したことないクオリティだし、それだったら頑張っても頑張らなくても同じこと。
好きなことだけやっていいんだ。
だって飛ぶ族だから。
ちゃんとできなくてもいいんだ。
だって飛ぶ族だから…!
そして私が何かしくじっても主人が回収してくれる。
なんてすばらしい。
そう思ったらすごく気が楽になって、生きやすくなった気がしました。
そんな私たち夫婦ですが、多分世間から見ると、落ち着いてる旦那さんが奥さんをフォローしてる夫婦に見えるんじゃないかと思います。
旦那さんに何の得があるのかと思うでしょう。私もそう思います(笑)
主人は私といるとおもしろいと言っています。
それと同じことが本にも書いてありました。
智子さんが「仁さんと一緒にいると、何が起こるかわからないから、ワクワク感があるんだよねぇー」と仁さんの失敗を笑い飛ばしたって。
多分、ふーん族の人にとって、めっちゃ族の人って最高のエンターテインメントなんだと思うんです。「見てたらすごいおもしろい」んだと思う。
だからね、ふーん族はめっちゃ族がいるステージには上がってこない。ふーん族は観客席なんです。めっちゃ族的にはステージに上がって一緒に楽しみたいんですけどね、ふーん族は目立たなくていいんです。だったら私はステージでいいので、拍手を送ってほしいですね。でもきっとふーん族としては見に来たこと自体が愛なんでしょうね。
あと、冒頭にでてきた「稼いでないのにお金使っていいのか問題」についても書いてありました。
平たく言うと、共同経営者で、役割が違うだけだから、使っていい、だそうです。
私の場合、使っていいと思えたのは「私は主人に笑いを提供して役に立っているから使っていい」という根拠だったので、まだその境地には達してないですね…
あ、でも、共同経営者の笑い担当だから使っていいのかな(笑)
きっと「夫婦神話」も幸せになるための一つの形なんだろうと思います。
今、それで幸せに暮らしてる夫婦を否定は全くしません。
でも夫婦の数だけ幸せの形があるだろうし、それを「そうなんだ~」だけでいいんだと思う。どっちが正しいとか、普通とかじゃなくて。
これを「知ること」で、より多くの人が幸せになりますように。