夫婦関係の変化
私たち夫婦は結婚して10年になります。
仲良しですが、一時期セックスレスでした。
仲良しだけどセックスだけがない、夫が拒否するというパターンです。
と言っても全くないわけではありません。月に1回はあります。でもそれは全て私が誘わないと始まらないし、高確率で断られる極めて確率の低い1回です。
当時は、「不妊治療もうまくいかず、母にもなれない」「夫に求められることもなく、女として満たされることもない」そして何より「愛されない」「価値がない」という思いに苛まれ、私の精神はボロボロで、ついには過呼吸になり、仕事を辞めました。そこまで追い詰められたんです。
↓関連の過去ブログ貼っとくので、興味ある人は読んでね↓
↓1回目の過呼吸
↓2回目の過呼吸の後、休職中。「隙がなかった」ことに気付く。
↓退職後、また大きな気付き。
↓「セックスしなくても大丈夫かも」
↓子供を手放す
セックスから子供を手放すと、そこには愛と快楽しか残らない。
長年、排卵を意識したセックスをしてきたせいで、妊活を止めると決めてからも、ついついカレンダーを見てしまっていましたが、最近は純粋に体の求め、気持ちの求めるタイミングで誘うようになっていました。
もちろんこれまでのように断られることもありますが、自分が「したい」という気持ちのみで誘っているので、断られても「あぁ、あなたは『したい』じゃなかったのね、分かったわ」とまぁまぁすんなり諦めることができます。(そして一人で処理します)
そんな今年の梅雨。
主人は喘息持ちなので、毎年梅雨の時季はノーセックスで、私にはかなり辛い時季なんですが、実は私も毎年6月は心身の調子が悪いことが多く、今年は片頭痛と仕事への順応で特に悪い日々が続いていました。
二人で「悪いね、辛いね」と言い合いながら暮らしていたのですが、私が久しぶりに断捨離再開できた7/12(日)、主人が夕方なのに「これからのご予定は?」と聞いてきました。私は意味がよく分からず断捨離の続きすると答えました。
翌13日、夕方二人で買い物を済まして帰宅したとき、主人が「ホテル行きたかった」と言いました。「なぜこのタイミングでそんなことを?なぜ過去形?」と思いましたが、誘われた!と思って嬉しくなりました。
でもすぐに「普段誘わない人が言えたってことは、もう過去の気持ちだから言えた、つまり実際これから行きたいわけではない」ってことかも?と思いました。
いや待てよ、「普段誘わない人が『行きたい』と願望の形で言うのは抵抗や照れがあったから過去形でしか言えなかった、それでも伝えたかった、つまりめっちゃ行きたい」という可能性もある…
誘われ慣れてないので、結局よく分からなくなり、直接本人に聞きました。行きたいの方らしいです。でも「今日は喘息しんどかった」と買い物の時に言っていたし、梅雨の間はないものだと思っているので「じゃあ」ともなれず…そのうち「眠い」とか言い始めたので、結局行きませんでした。
私はあまりに珍しいことに動揺していました。というか、これを書いてる今もあれが何だったのかよく分かっていません。
でも、もしかしたら、私が思ってたより、主人は私のこと求めてるのかもしれない…
そう思わせるに足る出来事でした。
思い返してみれば、私が体調悪いからほとんど寝てるし、休みが合わないからランチにも誘えないし、主人の愛情表現をできる機会が少なくなっていたのかもしれません。
さっそく休みを合わせる提案をしたら、主人が私に合わせてくれることに。そんなに一緒にランチに行きたかったのね…
夫の愛を受け止めるのも妻の喜びだなと思いながら、これまでの紆余曲折に思いをはせました。
約1ヶ月ぶりに片付け再開!
体調が良くない、独り立ちしたばかり、家事も片付けもしてない…
緊張、不安、焦りばかりでしたが、某西洋占星術のYouTubeで「焦りが出るけど行動できなくていい」と言われて、素直に「そっかー!」となりまして。
とにかく体調最優先、毎朝起きて出社できれば合格!ということにしました。
私の時間は私を癒すために使う!と思っているのに、先々に予定が入っている状態がアンバランスで嫌だったので、予定は全てキャンセルさせていただきました。
私の手帳には仕事と病院と何もしない予定しか入っていません。
最近Zoomなどを始めたのですが、気軽に私の時間を奪っていくので、これからは月1に制限します。もちろんリアルに会うのも月1です。
人と対面するのは非常に疲れます。会ってる間、話してる間は楽しいんですが、帰宅するとドッと疲れが出てすぐ寝ます。HSPの人は感知する情報量が多いから疲れやすいんだそうです。すごい納得。
別に会う人を選ぶとか、得にならない人間関係は切り捨てるとか、そういうことではないです。ただ単に自分の体調管理です。
あと、仕事中ずっと座ってると腰や肩が痛くなるので、1時間ごとにトイレに行って体を動かすようにしたり、同期の人に話しかけて一人で抱え込まないようにしたり、仕事中の工夫もしてみました。
そんな1週間を過ごし、土曜日は一日寝て過ごしました。
日曜日、溜まってた家事を片付け動画見ながらやりました。
その流れでなんとなく使ってないファイルなどが入ってる棚を片付け。
すると、パソコン周りの片づけはこれで一通り終わったことに気付きました。
…終わった…
爽・快・感…!(笑)
やっぱり片付くと嬉しいなってことを思い出しました。
調子が戻ってきたので1ヶ月前にやったけど保留にしていた本を最終チェック。全て要る、要らないに分けました。それから要らない本の中でもメルカリで売る本と、そのまま資源ごみで捨てる本に分けました。大切だった本が雨に濡れるのは心が痛むので、梅雨が明けてからごみに出します。
あと、これも1ヶ月前にやろうとしたCDですが、意外とハードルが高いということが分かったので、とりあえず元の棚に戻しました。目に入る場所にはあるので、意識に上げ続けることでまた気持ちに変化があるはず。その時が来たらまた片付けます。それまで保留です。
また片付けができて良かったなと思っていたら、なんと水星逆行が終了し、順行に戻ったタイミングだったみたいです。なんかびっくり。
そういうことがあるから、ついつい気になってYouTube見ちゃうんだよね。
私が素直なのか、占いがすごいのか(笑)
夢や目標を心に据えて
6月の中頃、初めて仕事を休んだ時から半月経ちましたが、体調の悪さは継続しています。
6月で研修を終え、7月から独り立ちしたのですが、研修中とはランチの取り方や休憩の取り方が違っていたり分からないことばかりだし、チームに配属されたから、チームの先輩方とコミュニケーションを取っていこうとしても先輩たちはひっきりなしにガンガン電話取ってるので、話しかける暇さえない…
4月から一緒に研修を受けてきた同期たちも遠くの席になってしまったから話せる人もいないし…心細さでいっぱいです…
これでお客さまからのお電話があればまだいいんですが、今は閑散期なんでしょうか、それとも独り立ちした人が多いから人員が多めに配置されているのでしょうか、全然入電しない…
業務知識はまだまだなところも多いので、待機中はホームページなどで勉強をして、より分かりやすいご案内ができるように努めてはいるのですが、なにせ電話がかかってこなければそれを活かす機会もなく…実際に話さないと今まで練習してきたことを忘れてしまいそうです…
待機にしている間ずっとヘッドセットを着け、マスクも着けているので、耳が圧迫され、午後になると頭痛がしてきます。ずっとモニターを見ているので眼精疲労もきついです。
元々、体調が悪いのを、睡眠を多めに取ったり、食事に気を付けたり、薬の処方を変えてもらったりして、どうにか出社してきましたが、こうなってくるともう、いつ事切れてもおかしくありません。
スキルの高さが全く違うのでお門違いも甚だしいですが、バンバン電話取ってる先輩に囲まれた中でずっと待機して自習して誰とも話せず頭痛に耐えながら業務時間を終えていく。
何にもしてないのに体だけは疲労困憊。
帰宅したらすぐ布団になだれ込む日々の中で、いったい私は何の時間を過ごしているのか分からなくなりました。
4月や5月はあんなにやる気があって、仕事したり家事したり、人生を変えるための片づけをしたり、充実した日々を送っていたのに。
私は仕事は一つずつ順番にしかできません。同時進行は無理です。
あと、適度に仲間や上司と話せる環境が必要です。なぜなら一人で抱え込んでしまうから。誰かに確認せずにやってしまうと後から大変なことになってしまうこともあるからと思えば勇気を出して話しかけることができますが、毎回相当な勇気を出しているのでそれが続くと疲弊します。
だからといってしょっちゅう気遣われたり声をかけられたりするのも自分のペースが乱れるから嫌だし、結局は自分が一人でできるようになることを目指しているので、過剰なお世話は自立の邪魔になる。でも助けが必要な時はあるし、そのために気遣いしたりもする。頼られるのも嬉しい。お互い必要な時に接点があればそれでいい感じです。
でも今は誰の役にも立ってないし、私が誰かの助けを必要とすることはあっても誰からも頼られることはない。自分の相当な勇気を使って、相手のペースを崩すことばかりで、相手にはほとんど利益がないし、私も疲れる。
この職場に何をしに来たんだっけ?
そう思ったらまだ職業訓練に行っていた時のことを思い出した。
「電話という言葉だけで伝えなければいけない業務を通して、自分の言語能力を高めたい」そう思ってコールセンターでの仕事を選んだんだった。
これまで、片頭痛やうつなどと付き合いながら生きてきた。
やる気、行動力、考える力もある、努力もできるのに、体調に阻まれ、キャリアの蓄積もできなかった。
ずっと悔しかったし、でも一方で仕方ないと諦めてきた。
でも訓練で「これからは子育てしながら、介護しながら、病気を持ちながら、障害を持ちながら、色んな〇〇しながら、仕事をする時代」と言われて、なんか目の前が開けた気がした。
だってそれは私がずっと試行錯誤してきたこと。周りの人がこれから取り組むことを、私はもう20年も前から取り組んでいる。そこに私の経験が生きる道があるんじゃないか…そう思った。
それから以前からなんとなくしか知らなかったHSPという気質について勉強し始め、自分がHSPであり、その中でも、物事を深く考える、刺激に敏感という特性が強いことが分かった。Twitterを始めると、意外とHSPの人っているんだなということも分かったし、私と同じ悩みを持っている人もたくさんいることが分かった。
私は私と同じように生きづらさを感じている人たちの助けになりたい。
それは考え方でもあるし、行動でもあるし、生活習慣でもある。
同じHSPでもどの特性が強いのかなど、個人差があるようなので、私のやり方が絶対ではないけど、「こんな生き方もある」ということを伝えていければと思っています。
伝える方法がなぜ文章なのかというと、小6の頃から創作してきたし、頭に自然と浮かぶから。うつがひどかった時には自然発生した文章に責められることもあったくらい。
それで将来的には本を出したい。元書店員が本を書く側に(笑)
今日は一日「何の予定もない」という予定を入れている日。
自分だけの時間を持つことが私には必要なんです。
気が済むまで寝て、冷凍庫の食材を使いきるという名の断捨離をして、ご飯食べて、洗濯機回して、ブログ書いて。
電話かけるかもと言っていた伯母からの電話はなかった。
自由を満喫して、少しできた余白に、夢や目標が立つ。
やっぱり心や体や時間に余裕があることは大事だな。
夢や目標を心に据えて、目の前の仕事に取り組む。
やりたいことをやるには、できることを少しずつやっていくしかない。
少しずつしかできないけど、確実に進んでいる。
進む方向や今の立ち位置を定期的に確認しながら前に進む。
今日はそれを確認できた。
気持ちの強さ
やはり6月は調子が悪い。
毎年のことだが、6月は初めて精神科にかかった月だからか、梅雨だからか、私が六星占術でいうところの水星人で6月が健弱にあたるからか、よくわからないが、毎年6月は体調が悪い。
頭痛もするし、メンタルも落ち込むし、昨年からは喘息を患ったので呼吸もしにくくなる。
何か言葉の断片が頭の中をぐるぐるしているが、形になって出てこない。形成の助けになるかと思って過去のブログを遡ってみた。
そこには「自分の人生を変えたい」と強く願い行動する私がいた。
今の私にその強さはない。
そうか、体の芯に気持ちが一本通った潔さ、あの感覚が今の私にはない。
今の私は体調の良し悪しに振り回され、それによって一日を決められてしまう遠い過去の私と同じ。自分がどうしたいかではなく、何が許されるのかに身を委ねていた過去の私と同じだ。
そんな自分とは当の昔に離れたはずだった。でもそんなに昔のことではなかったのかもしれない。離れたい気持ちがあって、ずいぶんとあの感覚を感じずに済んでいたから「コントロールできている」「距離を置けている」と思いたかったのだろう。
でも、それは簡単に戻ってくる。離れるのには多大な労力と繊細な注意が要るのに。
「またやり直さなくてはならない」「またここに戻ってきてしまった」そういう思いが、私の中を占め始めると、「自分を変えたい」「人生を変えたい」なんて気持ちは起こらなくなってきて、結局目の前の家事をやるのに精一杯の状態になる。
2週間前に本を手放して、続いてCDを片付けようと思って広げたけど、「選ぶ」「決める」ということが出来なくてそのままになっている。
まぁ、手放す前にパソコンに取り込んでから手放そう、なんて手間のかかることをしようとしてるから先に進まないのかもしれないけど。
判断力が低下している時は明らかなごみとか、捨てやすいものから手を付けていけば少しずつでも進むかなと思って、やれるところから進めてはいるけど、とにかく眠くてそれすらできない時もある。
7月の頭に土星がやぎ座に戻るので、それまでに片付けてしまいたいなと思っていたけど、それには間に合わなそう。
仕事の研修は6月までで、7月からは独り立ちしなくてはいけない。
環境は少しずつだけど、確実に変化していく。
それに対応できないかもという不安はない。きっと適応できるようにどうにかこうにかやると思う。けど、どうにかこうにかの時期は多少辛さを感じるはずで。独り立ちにゴーサインがまだ出ていない今は、その辛さに立ち向かっていける気持ちの強さは持ち合わせていない。
実力は少しずつだけど、確実に付いてきている。
トレーナー役の先輩に言われたその言葉を頼りに、明日も電話を取る。
気持ちで押せない時でも行動し続けることできっと好転していく。
そう信じて体調管理に努めます。体が動かせなかったら行動はできないから。
コントロールできなくてもいい。何度でもやり直せばいい。自分と対話して自分を労わる。無駄な学びはない。そういう機会だと思えばいい。
水星逆行とか夏至とか
こんばんは、asahiです。
18日から水星逆行とか、21日今日は夏至で新月で部分日食とか、なんか星が騒がしい最近です。
影響があるのかないのかよく分かりませんが、私も今週を騒がしく過ごしました。
月曜日。
朝「出社したくない」気持ちになりながらも出社。ちょっとしたミスをきっかけに会社で軽く泣いてしまう。ミスの影響は全くなく、助けもあって事なきを得る。私の気持ちも落ち着いたが、「やはり朝の気持ちを無視してはいけなかった」と感じた。
火曜日。
頭痛。気分の落ち込み。入社して初めて欠勤する。
ちょうど精神科通院の日だったので先生に話して聞いてもらって少し気持ちが楽になる。
水曜日。
元々仕事休みのため、予約していた歯科通院。左上奥歯の根っこに膿が溜まっていることが分かる。以前、神経をとり根っこの治療をしていた箇所。今、歯につけている金属の歯の台座を取り外すのに時間がかかるとのことで、次回より治療開始することにして帰宅。夕方からまた頭痛がし始める。
木曜日。水星逆行開始。
朝から激しい頭痛。頭の奥の中心から気持ちが悪くなるような痛み。拍動性なし。動くと痛い。朝食後イブ服用。2時間ほどしてようやく効いてくるが、動くと痛いのは変わらず、また欠勤。
ネット検索で、上顎は副鼻腔に場所が近いため、歯の膿が副鼻腔炎を引き起こすことがあるらしい。そして副鼻腔炎の症状として頭痛がある。
「だったら膿を出してもらおう」と思い、歯科に電話。「時間がかかると聞いているが大丈夫か」確認し、予約、来院。しかしいざ診療台に乗ると「今日は時間がないので別の治療をします」と言われる。「話が違うから帰る」と答えると「できるところまでやります」とのことで、結局台座を外すのにかなり時間がかかり、膿を出すところまでは進まず。歯に蓋をして抗生剤を出されて帰った。
先生曰く、膿から副鼻腔炎を発症した可能性はゼロではないが、可能性は低いと思うとのこと。理由は、レントゲン写真を見る限り上顎から副鼻腔に貫通した様子はないし、膿の量もそこまで無いように見えるから。ただ、実際に膿を出してみて意外と多かったということもあるし、実際出してみないと分からないことではある。
片頭痛歴20年以上の私ですが、また同じ轍を踏んでしまいました。
20代前半の頃は頭痛の頻度も強さも今よりひどくて生活に多大な悪影響がありました。なのでどうにかしたいという気持ちが強く、可能性があるものは色々と試しました。ですが、片頭痛は器質的な病気というよりは生理的な病気です。「これさえ変われば痛みはなくなる」ということではないのです。だから必死に原因を探して解決しようとしてもあまり意味がありません。
そういうことは分かっていたはずなのに…
2日連続で欠勤してしまった焦りからか、つい頑張ってしまいました…
水星はコミュニケーションや言語能力を意味します。それが逆行するということは、それらがうまくいきにくくなるということ。またかに座で起こるので感情がいつもよりデリケートのなるとのこと。予約のミスもあり、うわぁ、水星逆行すげぇ…とついつい思ってしまいました。
「急がば回れ」だなぁと実感し、焦ったり不安になったり緊張したりするのはある程度にしよう、それで行動しても意味ないし、と多少割り切った気持ちになりました。
金曜日。
頭痛が出ていなかったので出社。応対もまぁまぁ落ち着いてできた。
頭痛で休んだことを先輩に言うと、先輩も木曜日は頭痛がひどかったそうだ。天候も要因としてあるかもしれない。
夜、生理始まる。痛み方が違っていたので疑っていたが、やはり今回の頭痛の理由の大きなものは生理前ということのようだ。
土曜日。
主人の実家の田植えの手伝い。
日曜日。夏至。
Zoomデビュー。
使っていないサイトの退会、アカウントの削除、メールの配信停止の作業を行う。(ID,PWの断捨離。退会、削除8件、停止3件)
集中しすぎて日食の時間過ぎてた。悲しい。
そして今。
まだなんとなくざわざわした気持ちもあり、眠くもあり。
でもきっと今週の色々は、今書かないと書かないだろうから、記録だけ残す。
星の動きが騒がしくて、YouTubeでも色々と言われるから、つい自分の行動をそれに委ねたり、正解かどうか気になったりしてしまうけど、大切なのは自分の気持ち。
お風呂に浸かって内観する。今、私は何を感じているのか?
頭が痛い時は頭で考えようとしすぎてる時でもある。そういうときは「頭が痛くて考えられないから考えるの止めーた!」でいいし、「感じたまんまでやっちゃう」でいいのだ。
水星逆行は年に3回くらいあるらしいけど、コミュニケーションがとりづらくなって人間関係にトラブルが起こったりするのかと思いきや、意外とこの時期の方が連絡がとりやすい人もいるのが興味深い。
さて、今週はどんな1週間になるのか。
今週もがんばろう。
本を手放す
2週間くらい前に姉から連絡が来た。
「実家で妹が片づけをしている。自分が実家に置きっぱなしにしていたマンガの一部をアサヒがもらってくれないか」とのこと。
そのマンガは姉も私も好きだったマンガで全巻揃っている。
もらうと返事をして実家に引き取りに行った。
実家は数年前に建て替えた。その時に巷でよく言われる『実家の片づけ』は母がすでに片付け済みである。
妹は実家で同居するわけでもないのにどうして片づけをする必要があるのか。自分が実家を継ぐのだという意識が大きくなりすぎて、他の姉妹の持ち物がいまだ実家にあるのが気に入らないのだろう。
実家は父と母の住まいだ。もし嫁いだ娘の私物が置きっぱなしになっていたとしても、父と母がそれをよしとするなら、それはよしなのだ。どうしてそこに同居するわけでもない娘が口を出すのか。私はそれが気に入らない。
私も姉に返す本があったので、それと引き取る本を交換して帰宅した。
姉に返した本の分だけ本棚が空いている。
引き取った本が懐かしかったので、つい夜更かしして読んでしまった。
この本は高校生から大学生にかけて集めて読んでいた。
実は結婚に伴い今の家に引っ越してくる際に他のマンガも段ボール箱に詰めて持ってきているのだが、本棚コーナーを作るつもりで計画倒れになってしまい、今もまだ段ボールに入ったままになっている。
その中身もまた同じ懐かしい本たち。
…そうか、と思った。
たまに、「私が決めないから、あの人が悪役になってくれたんだろうな」という時がある。
神様的な存在があの人を悪役にして私に何か嫌なことをする。
私はそれをきっかけに「決める」方へ舵を切る。
そういう役割を妹がやらされてるんだろうな。
そう、思った。
だからといって「妹よ、私のためにありがとう、これまでのことは水に流すよ」とはならない。むしろ私の進化が終わるまで、しっかり悪役でいてもらって利用させてもらうが。
服の片づけがあらかた完了し、やっと必要で足りない服を買い足せるようになった。
気になっていた主人のパソコン周りとWi-Fi環境を整えた。
次はどうやら「本」の順番らしい。
本はマンガが多いのだが、遡ること小学5年生くらいから買い始め、これまで25年間ほど毎年買い、一方でほとんど手放さない。
加えて前職は本屋の店員で、コミック担当だった。好きな作家さんは買い逃さないし、いい作品を見つけるのも仕事がてら。増える一方である。
とりあえず、全部の箱を開けて中身を確認してみた。9箱ある。忘れていた本や途中で集めるのを止めてしまった本は手放しやすい。しかし、それ以外は手放しにくいだろうと思ったので、とりあえず確認だけして1週間寝かせてみた。
モノは時間をおくことでゴミへと変わっていく。要るのか要らないのか、自分に問う時間が必要なのだ。
1週間経って、大学時代に買った本が手放しやすそうだと気付いたので、9箱中3箱を要る、要らないに分けた。
それから3日経って、意外と結婚後に新たに買った本の方が手放しやすそうだと気付き、三段ボックスいっぱいに入っていた本のうち、約1段分を手放した。
そして昨日、12時間ほどかけて残りの6箱全ての本の分別を完了した。一部保留にした本もあるが、それも後々処理する。
手放すと決めた本は全部で4箱分。ブックオフに出張買取に来てもらおうと思っていたが、意外と状態が悪く、大半が引き取っても貰えなさそう。なので状態の良いものだけをメルカリに出品し、残りは資源ごみに出そうと思う。かつて気に入って買った本がごみになってしまうのは心が痛むが、仕方がない。また時間を置いてごみとして出す気持ちに変化したら行動に移そう。
本は私にとってはとても大事なものだ。
知識であり、情報であり、エンターテインメントであり、娯楽であり、癒しである。
毎月のお小遣いの使い道はたいてい本だった。
そんな大切な位置づけだった本を片付けた。
やったぞという達成感と、心にぽっかりと穴が空いてしまったような寂しさ、その両方を同時に感じている。
でもいつまでも過去と共に生きるわけにはいかない。
過去を断ち切り、今を生きる。未来に向かう。
そう決めたから。
少しずつでいい。でも着実な一歩だ。
世の中のミニマリストさん達からすれば、まだまだ多いと思う。三段ボックス2つ分の本が残っている。また後日、本棚コーナーに綺麗にひとまとめにして、残した本を並べようと思っているが、今の私が選んだ本だけが並ぶ本棚を想像するだけで心がワクワクしてくる。
いい週末だった。頑張ったね、私。おめでとう!
1日2食の生活リズムを始めました。
最近Twitterを始めました。
その中で生活が変わるきっかけになったツイートがこちら。
朝ごはんと昼ごはんを比較的にしっかり食べれば、夜ごはんは食べなくても大丈夫かもしれないなぁ…
— asahi (@first_asahi) 2020年5月23日
それよりも睡眠。
既婚者だから飲み会含め夜ごはんのお誘いほとんどないし、実行性高いかも。#ミニマリスト
会社に出勤する日常が戻ってきて以降の生活は…
7時起床、朝食、準備、9時出勤
→15時退社、帰宅したら遅めの昼食を食べ、疲れて眠気がすごいので寝る。
→6時間くらい寝て、23時くらいに起きる。
→夕食を食べ、風呂に入り、2時か3時に寝る
という感じでした。
しかし、夕方に寝たらそのまま朝までということがたびたびあり、夕食後に服薬の薬を飲み忘れて喘息の症状が出て苦しむこともありました。
服薬のタイミングは食事にくっつけておくと飲み忘れを防げたり、胃への負担を和らげたりできるから食事とくっついているのであって、間が6時間空いていれば飲んでも問題はありません。
8時の朝食と16時の昼食は8時間空いているので、飲み忘れるくらいならもうここで飲んでしまおうと思い、飲み始めました。
すると、私は薬を飲むために食事をとるところがあるので、夕食をとる必要性が低くなってきました。
「寝て疲れをとりたいし、しんどくて起きていられないし、1日のうち10時間は睡眠にあてたい。もう薬も飲んでるし、食べるより寝ることに時間を使いたい」
ある日、そう思って、実際にそうしてみました。
すると、思ったより寝起きもいいし、前日の疲労から回復して、体も軽い状態で起きることができたんです。
一晩で昨日食べたものの消化が完了しているのか、朝起きたらもう便が出すだけという状態でスタンバイしていました。出したらさらに体が軽くなりました。
「この方法が私には合っているかもしれない」
そう思いました。
それからの私の生活リズムはこうです。
7時起床、朝食、家事、9時出社
→15時退社、買い物・通院など用事、帰宅
→遅くとも19時までに夕食
→風呂、眠い時に寝るが遅くとも23時には就寝
注)Twitterに書いてた内容と少し変わってますが、その後改善した内容を書いてます。
途中で漢方内科に通院するタイミングがあったので、漢方の薬剤師の先生にこの話をしてみました。
すると、「1日2食にするやり方はいくつかあって、その中でも陰と陽に分けるのがやりやすい。昼が陽で食べてエネルギーを取り込む時間。夜が陰で消化をする時間。例えば8時と20時の2食にするとかがやりやすいですね」と言われました。
時間がどんぴしゃで同じだったのでびっくり!あと、朝から快便なのは一晩で消化が完了したからかなと思っていましたが、それもまさにその通りだそう。そして私がそれで心地よく感じているなら合っているということだとも言われて、やっぱり合ってるんだ、私の感覚は間違ってなかったと確信しました。
でもひとつだけ注意。
「食べるのと寝るの、どっちかしか時間とれないならどっちを選んだ方がいいですか」という質問には「食べる方」と言われました。
寝て回復したいけど、その材料がなかったら回復しきれないから、食べてから寝た方がいいとのこと。・・・確かに。今までパンとか軽く食べてから寝てました。
でもこれからは2食しか食べないから、寝る時間も十分確保できるし、この2食で1日分の栄養を摂取しなくちゃ!と思ってしっかり食べれば材料も十分ですよね。
昔は朝から食欲出なくて食べない日も多かったんですが、以前ブログに書いた発酵食品を取り始めてから朝から空腹を感じるようになったので、朝からしっかりした量を食べることができます。
なので、私と同じように
・食べるより寝ていたいくらい疲れている方
・3食食べるのがつらい方
・食べたら眠くなる方
・朝起きると胃に不快感を感じたり、まだ食べ物が消化しきれてない感じがする方
そういう方は1日2食の生活リズム、とってもオススメです!
まだ意識的にやり始めて2週間しか経ってないですが、この間に体重が1kg落ちました!
胃が軽くて体が軽いから眠りやすいし、朝起きたらすぐ便が出てさらに軽くなるので活動しやすいし、やる気も起きて、気分よく過ごすことができます。
1日だけ夜更かししてしまい、朝寝て夕方起きるという日があったんですが、その日は恐ろしいほどやる気が出なくて自分でもびっくりしました。
最近お腹がへっこんできたので、寝る前に筋トレを始めました。と言ってもぎっくり腰をたまにやるような腰なので『腰痛体操』という負荷が低い運動なんですが。くびれが出来たらいいな~と思ってやってます。
「自分を知る」を続けてきましたが、自分が毎日を心地よく過ごすということも大事ですよね。
世の中の当たり前とは違っていても、その中に『自分の心地よい』がないなら、自分に合うやり方を自分と対話しながら見つけていけばいい。
そして勇気を出して実行していく。
自分のマスターは自分だけ。自分の機嫌は自分でとる。
そういう場所に辿り着けた自分を最近は嬉しく思っています。
ありがとう。がんばったね、わたし。ありがとう。
そういえば6月6日は私が初めて精神科を受診した日です。
あの日から17年。本当にがんばったね。ありがとう。